現をも現といかが定むべき
夢にも夢を見ずはこそあらめ
- 歌の意味
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現実を現実だと、どうして決めることができようか。夢の中でさらに夢を見るということがないのならば、それもよかろうが。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1128
詞書「百首歌奉りける時、無常の心を詠める」
崇徳院に百首歌を奉った時、無常の題で詠んだ歌である。現実を現実とどうして定められようか、夢の中でも夢を見ることがないのならばよいが、と詠む。人は夢の中でさらに夢を見ることがあり、夢の中の夢から覚めても、そこはまだ夢である。そうであれば、今目覚めていると思うこの現実も、実は大きな夢の中にすぎないのではないかと、無常の世の頼りなさを理知的に詠んでいる。この百首は『久安百首』として知られる。
作者の「藤原季通朝臣」は権大納言藤原宗通の子である。琵琶や箏の名手として知られた。
本歌から第千百三十一首までは同じ百首歌の無常の歌である。本巻の第千百三十首の二句「いづれか現」と、夢と現をめぐる問いを共有する。
初句「現をも」は、現実をも、の意である。
二句「現といかが」は、現実だとどのように、の意で、「いかが」は反語として三句の「べき」と呼応する。本巻の第千百三十首の二句「いづれか現」と「現」を共有する。
三句「定むべき」は、決めることができようか、いやできない、の意である。ここで句切れとなる。
四句「夢にも夢を」は、夢の中でも夢を、の意で、夢の中でさらに夢を見ることを言う。
結句「見ずはこそあらめ」の「ずは」は打消の仮定、「こそ」は強意の係助詞で、推量の助動詞「む」の已然形「め」で結ぶ。見ないのならばよかろうが、の意である。
うつつ:現実、目覚めている状態
さだむ:決める、見定める
- 作者
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藤原季通
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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憂き夢は名残までこそ悲しけれ 此の世の後もなほや嘆かん
- 次の歌
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厭ひてもなほ忍ばるる我が身かな 二たび来べき此の世ならねば