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厭ひてもなほ忍ばるる我が身かな
二たび来べき此の世ならねば

歌の意味
この世を厭いながらも、やはりいとおしく思われる我が身であることだ。二度と生まれて来ることのできるこの世ではないのだから。
鑑賞
巻第十七 雑歌中 1129

詞書は前の歌に続き「百首歌奉りける時、無常の心を詠める」
 崇徳院に百首歌を奉った時、無常の題で詠んだ歌である。厭いながらもなお惜しまれる我が身であることだ、二度と来ることのできるこの世ではないので、と詠む。この世をつらいと厭いながらも、この身がいとおしく思われるのは、二度と同じこの世に生まれてくることはないからだと、一度きりの生の重さに気づいた心を詠んでいる。
 作者の「藤原季通朝臣」は権大納言藤原宗通の子である。琵琶や箏の名手として知られた。
 前歌に続き、同じ百首歌の無常の歌である。また本巻の第千百四十一首の四句、結句「おくれ果つべきこの世ならねど」と、「べきこの世ならね」の言い回しを共有する。

 初句「厭ひても」は、この世を厭いながらも、の意である。
 二句「なほ忍ばるる」の「忍ぶ」は、いとおしく思う、惜しむ意で、「るる」は自発の助動詞「る」の連体形である。それでもやはり惜しく思われる、の意となる。
 三句「我が身かな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、ここで句切れとなる。
 四句「二たび来べき」は、二度来ることのできる、の意である。
 結句「此の世ならねば」は、この世ではないので、と理由を示し、倒置によって三句に返る。本巻の第千百四十一首の結句「この世ならねど」と言い回しを共有する。

しのぶ:いとおしく思う、惜しむ
作者
藤原季通
出典
千載和歌集
前の歌
現をも現といかが定むべき 夢にも夢を見ずはこそあらめ
次の歌
これや夢いづれか現はかなさを 思ひわかでも過ぎぬべきかな