これや夢いづれか現はかなさを
思ひわかでも過ぎぬべきかな
- 歌の意味
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これが夢なのか、どちらが現実なのか。そのはかなさを見分けることもできないまま、一生を過ごしてしまうに違いないことだ。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1130
詞書は前の歌に続き「百首歌奉りける時、無常の心を詠める」
崇徳院に百首歌を奉った時、無常の題で詠んだ歌である。これが夢か、どちらが現実か、そのはかなさを思い分けることもなく過ぎてしまうだろう、と詠む。夢と現のどちらもはかないものであり、どちらが本当かを見極めることもできないまま、人の一生は過ぎ去っていくだろうと、無常の世に生きる身の頼りなさを詠んでいる。『古今和歌集』雑歌下の「世の中は夢か現か現とも夢とも知らずありてなければ」に通う発想である。
作者の「上西門院兵衛」は神祇伯源顕仲の娘である。待賢門院に仕えたのち、その皇女の上西門院統子内親王に仕えた。待賢門院堀河の妹にあたる。
前々歌の第千百二十八首と同じ百首歌の歌で、ともに夢と現の区別のつかなさを詠む。本巻の第千百二十三首から続いた夢をめぐる歌は本歌で終わる。
初句「これや夢」の「や」は疑問の係助詞で、これが夢なのか、の意である。ここで句切れとなる。
二句「いづれか現」は、どちらが現実なのか、の意で、ここでも句切れとなる。本巻の第千百二十八首の初句、二句「現をも現と」と「現」を共有する。
三句「はかなさを」は、夢も現もはかないことを、の意である。
四句「思ひわかでも」の「思ひわく」は区別して考える意で、「で」は打消の接続助詞である。見分けることもできずに、の意となる。
結句「過ぎぬべきかな」の「ぬ」は強意、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形で、きっと過ぎてしまうだろう、の意である。
おもひわく:区別して考える、判断する
- 作者
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上西門院兵衛
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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厭ひてもなほ忍ばるる我が身かな 二たび来べき此の世ならねば
- 次の歌
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明日知らぬ三室の岸の根なし草 何あだし世に生ひ始めけん