明日知らぬ三室の岸の根なし草
何あだし世に生ひ始めけん
- 歌の意味
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明日をも知れない、三室の岸の根なし草。そのような私が、どうしてこのはかない世に生まれ出てしまったのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1131
詞書は前の歌に続き「百首歌奉りける時、無常の心を詠める」
崇徳院に百首歌を奉った時、無常の題で詠んだ歌である。明日をも知れない三室の岸の根なし草よ、どうしてはかない世に生え始めたのだろうか、と詠む。根を張らず水に漂う草は、明日にも流されて消えてしまうかもしれない。そのような頼りない身でありながら、どうしてこの無常の世に生まれてきてしまったのかと、我が身を根なし草にたとえて生のはかなさを嘆いている。
作者の「花薗左大臣家小大進」は花園左大臣源有仁の家に仕えた女房で、菅原在良の娘である。
前歌までに続き、同じ百首歌の無常の歌で、この百首の歌は本歌で終わる。前歌の第千百三十首の三句「はかなさを」と、生のはかなさを詠む点で通う。
初句「明日知らぬ」は、明日の命も知れない、の意である。
二句「三室の岸の」の「三室」は大和国の歌枕で、神の降りる山とされた三室山のあたりを言う。
三句「根なし草」は、根を張らず水に浮かび漂う草で、頼りない我が身をたとえている。体言で句切れとなる。
四句「何あだし世に」の「何」は、どうして、の意、「あだし世」は、はかない世、無常の世の意である。
結句「生ひ始めけん」の「生ふ」は草の縁で、生まれ出ることをたとえる。「けん」は過去推量の助動詞「けむ」の連体形で、どうして生え始めたのだろうか、の意である。
ねなしぐさ:根を張らず水に浮かぶ草、浮草
あだしよ:はかない世、無常の世
みむろ:大和国の歌枕で、神の降りる山とされた三室山のあたり
おふ:草木が生える
- 作者
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花園左大臣家小大進
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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これや夢いづれか現はかなさを 思ひわかでも過ぎぬべきかな
- 次の歌
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惜しからぬ命ぞさらに惜しまるる 君が都に帰り来るまで