今宵まで秋は限れと定めける
神代もさらに恨めしきかな
- 歌の意味
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今宵までを秋の終わりと定めた神代のことまでも、今さらながら恨めしいことだ。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 386
詞書「百首歌たてまつりける時、九月尽の心をよめる」
百首歌を詠進した折に、九月尽の題で詠んだ歌である。今宵までで秋は終わりだと定めた遠い神代のことまでも、今さらながら恨めしく思われる、と詠む。季節の区切りを定めたはるか昔の神々の時代にまでさかのぼって恨むことで、秋を惜しむ思いの深さを表している。本巻の巻末の歌である。
作者の「花薗左大臣家小大進」は、花園左大臣源有仁の家に仕えた女房である。菅原在良の娘で、崇徳院の久安百首の作者の一人である。
九月尽は陰暦九月の末日で、秋の最後の日にあたる。本巻の巻頭の第三百二首が寝覚めの心のはるか唐土まで行く空間の遠さを詠んだのに対し、巻末の本歌は神代という時間の遠さを詠み、巻の初めと終わりが呼応している。
初句「今宵まで」は、九月尽の今宵までを、の意で、秋の最後の夜を示す。
二句「秋は限れと」の「限る」は限りとする、区切る意で、「限れ」は命令形である。秋は今宵までとせよ、と定めた言葉を示す。
三句「定めける」の「ける」は過去の助動詞「けり」の連体形で、四句の「神代」にかかる。
四句「神代もさらに」の「神代」は神々が治めていたとされる遠い昔、「さらに」は今さら、いっそう、の意である。本巻の巻頭の第三百二首の「唐土までも」と、遠さを示す語が巻の初めと終わりに置かれている。
結句「恨めしきかな」の「かな」は詠嘆で、秋を惜しむ思いを結び、本巻を閉じる。
かみよ:神々が治めていたとされる遠い昔
かぎる:限りとする、区切る
- 作者
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花園左大臣家小大進
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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竜田山散る紅葉葉を来て見れば 秋は麓に帰るなりけり
- 次の歌
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昨日こそ秋は暮れしかいつの間に 岩間の水の薄氷るらん