- 歌の意味
-
更級の姨捨山で私が月を見ていると、都にいる誰が知っているだろうか、誰も知りはしないだろう。
- 鑑賞
-
巻第八 羈旅歌 512
詞書は前の歌に続き「百首歌召しける時、旅歌とてよませ給うける」
久安百首の旅の題の歌である。更級の姨捨山で私が月を見ていると、都にいる誰が知っているだろうか、と詠む。名高い月の名所に至りながら、その月を見ている自分を都の誰も知らないという孤独を表している。
作者の「藤原季通朝臣」は権大納言藤原宗通の子である。官位は高くなかったが、箏や琵琶に優れ、久安百首の作者の一人である。
久安百首の旅の歌の一連の四首目である。姨捨山の月は、古今和歌集のよみ人しらずの歌に、更級の姨捨山に照る月を見て心を慰めかねたと詠まれて以来、慰めがたい月として知られる。巻第七の第四百九十六首は、旅先で姨捨山の月を見ても都を出る有明の空を忘れるなと、送る側から旅人に呼びかけていた。本歌は旅人の側から、姨捨山の月を見る自分を都の誰が知ろうかと嘆き、二首が呼応している。
初句「更級や」は信濃国の更級の地で、「や」は詠嘆の間投助詞である。
二句「姨捨山に」の「姨捨山」は更級にある月の名所の歌枕で、古今和歌集の歌を踏まえる。
三句「月見ると」は、月を見ていると、の意で、四句以下で問う内容を示す。
四句「都に誰か」の「か」は疑問の係助詞で、結句の「らん」と連体形で結ぶ。
結句「我を知るらん」の「らん」は現在推量の助動詞で、誰が知っているだろうか、誰も知りはしない、という反語的な嘆きとなる。
さらしな:信濃国の地名で、姨捨山のある地
をばすてやま:信濃国更級の山で、月の名所として知られる歌枕
- 作者
-
藤原季通
- 出典
-
千載和歌集
- 前の歌
-
花咲きし野辺の気色も霜枯れぬ これにてぞ知る旅の日数は
- 次の歌
-
道すがら心もそらに眺めやる 都の山の雲隠れぬる