春はなほ花の匂ひもさもあらばあれ
ただ身にしむは曙の空
- 歌の意味
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春はやはり、花の美しさもそれはそれでかまわないが、ただ身にしみて感じられるのは曙の空である。
- 鑑賞
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巻第一 春歌上 40
詞書「崇徳院に百首歌奉りける時、春の歌とてよめる」
崇徳院に百首歌を奉った際、「春」を題として詠んだ歌である。春の美しいものといえば花が第一とされるが、それはそれでかまわない、ただ身にしみて心にしみ入るのは曙の空である、と詠む。花を差し置いて曙の空を挙げる大胆な言い切りに、作者独自の美意識がうかがえる。
作者の「藤原季通朝臣」は権大納言藤原宗通の子の藤原季通である。官途は振るわなかったが、琵琶や箏の名手として知られ、崇徳院の歌壇で活躍した。
春の美を曙に見いだす発想は、枕草子の冒頭「春はあけぼの」にも通じる。
初句「春はなほ」の「なほ」は、やはり、の意である。
二句「花の匂ひも」の「匂ひ」は、花の美しい色合いや香りをいう。
三句「さもあらばあれ」は、どうであろうとかまわない、の意で、七音の字余りとなる。ここで句切れとなる。
四句「ただ身にしむは」は、ただ身にしみて感じられるのは、の意である。
結句「曙の空」は体言止めで、明け方の空をいう。本巻の第二十八首、第二十九首が鶯の声とともに「春の曙」を詠んだのに対し、本歌は花さえ退けて曙の空そのものを讃えている。
みにしむ:身に深くしみ通るように感じる
- 作者
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藤原季通
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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帰る雁幾雲居とも知らねども 心ばかりをたぐへてぞやる
- 次の歌
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朝夕に花待つころは思ひ寝の 夢のうちにぞ咲きはじめける