心なき我が身なれども津の国の
難波の春にたへずもあるかな
- 歌の意味
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情趣を解さないこの身ではあるが、摂津の国の難波の春の景色には、心を動かされずにはいられないことだ。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 106
詞書は前の歌に続き「百首歌奉りける時、春の歌とてよめる」
前歌と同じく崇徳院に奉った百首歌で、「春」を題として詠んだ歌である。情趣を解する心などない自分であるが、摂津の国の難波の春の景色には、感に堪えず心を動かされてしまうことだ、と詠む。能因の名歌を踏まえ、「心ある人」に見せたいと詠まれた難波の春に、心ない身でさえ感じ入ってしまうと答える形で、難波の春の美しさを称えている。
作者の「藤原季通朝臣」は権大納言藤原宗通の子である。太政大臣藤原伊通の弟にあたり、琵琶や箏など管弦の名手としても知られた。崇徳院の久安百首の作者の一人である。
後拾遺和歌集の能因の歌「心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を」を本歌とする。
初句「心なき」は、情趣を解する心のない、の意である。本歌の「心あらむ人」に対して、自らを「心なき」身とへりくだる。
二句「我が身なれども」の「ども」は逆接の接続助詞で、わが身ではあるが、の意となる。
三句「津の国の」は、摂津国のことで、本歌と同じ句を用いる。
四句「難波の春に」の「難波」は摂津国の歌枕で、本歌の「難波わたりの春の景色」を受ける。
結句「たへずもあるかな」の「たへず」は、こらえきれない、感に堪えない、の意で、「かな」は詠嘆の終助詞である。心ない身でさえ感動を抑えられないことを表す。
こころなし:情趣を解する心がない
つのくに:摂津国
たふ:こらえる、我慢する
- 作者
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藤原季通
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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鏡山光は花の見せければ ちりつみてこそさびしかりけれ
- 次の歌
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思ふこと千枝にやしげき呼子鳥 信太の森のかたに鳴くなり