鏡山光は花の見せければ
ちりつみてこそさびしかりけれ
- 歌の意味
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鏡山は、その光を花が見せていたので、花が散り積もり、鏡に塵が積もったようになってしまうと、いかにも寂しいことだ。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 105
詞書「百首歌奉りける時、春の歌とてよめる」
崇徳院に百首歌を奉った際に、「春」を題として詠んだ歌である。鏡山は、その名の鏡の光を咲き誇る花が見せていたので、花が散り積もってしまうと、まるで鏡に塵が積もって曇ったようで寂しいことだ、と詠む。山の名の「鏡」から光と塵を連想し、花の散った山の寂しさを、曇った鏡になぞらえた機知的な一首である。
作者の「前参議親隆」は藤原親隆である。権中納言藤原為房の子で、参議に至った。崇徳院の久安百首の作者の一人である。
初句「鏡山」は、近江国の歌枕である。山の名の「鏡」から、三句の「光」や四句の「ちり」が導かれる。
二句「光は花の」は、鏡の光は花が、の意で、満開の花が山を輝かせていたことを鏡の光になぞらえる。
三句「見せければ」は、已然形に「ば」が付いた確定条件で、見せていたので、の意である。
四句「ちりつみてこそ」の「ちり」は、花が「散り」の意と、鏡に積もる「塵」の意とを掛ける。「こそ」は係助詞で、結句の「けれ」と係り結びをなす。本巻の第百首「散り積む花の」も散り積もる花を詠む。
結句「さびしかりけれ」の「けれ」は「けり」の已然形で、「こそ」の結びとなる。曇った鏡のように光を失った山の寂しさを表す。
ちり:花が「散り」の意と、鏡に積もる「塵」の意を掛ける
かがみやま:近江国の歌枕
- 作者
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藤原親隆
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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下冴ゆる氷室の山の遅桜 消え残りける雪かとぞ見る
- 次の歌
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心なき我が身なれども津の国の 難波の春にたへずもあるかな