潮垂るる伊勢をの海人の袖だにも
干すなる暇はありとこそ聞け
- 歌の意味
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潮水に濡れてしずくを垂らす伊勢の海人の袖でさえも、干す暇はあると聞いている。それなのに、涙に濡れる私の袖は干す暇もない。
- 鑑賞
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巻第十三 恋歌三 815
詞書「百首歌奉りける時、恋の歌とて詠める」
百首歌を奉った時に恋の歌として詠んだ歌で、この百首歌は崇徳院に奉った久安百首である。潮に濡れる伊勢の海人の袖でさえ、干す暇はあると聞く、と詠む。いつも潮水に濡れている海人の袖でさえ干す時はあるのに、恋の涙に濡れる自分の袖には乾く暇がないという、言外の嘆きを表している。
作者の「前参議親隆」は藤原親隆である。藤原為房の子で、参議に至った。久安百首の作者の一人である。
本歌から第八百十七首まで、涙に濡れる袖を詠む歌が続き、本歌の干す暇もない袖から、次歌の絞るのをやめた袂、次々歌の朽ちるにまかせる唐衣へと、涙への向き合い方が移っていく。
初句「潮垂るる」は、潮水に濡れてしずくが垂れる、の意で、涙に濡れる意にも通う。
二句「伊勢をの海人の」の「伊勢を」は伊勢の海の男で、伊勢の海で漁をする海人の、の意である。
三句「袖だにも」の「だに」は、軽いものを挙げて重いものを類推させる副助詞で、海人の袖でさえも、の意である。言外に涙に濡れる自分の袖を対比させる。
四句「干すなる暇は」の「なる」は伝聞推定の助動詞「なり」の連体形で、干すという暇は、の意である。
結句「ありとこそ聞け」の「こそ」は強意の係助詞で、「聞け」と已然形で結ぶ。あると聞いている、の意で、逆接の余意を含み、言外に自分の袖は乾く暇もないことを示す。
しほたる:潮水に濡れてしずくが垂れる。涙に濡れる
いせを:伊勢の海の男
- 作者
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藤原親隆
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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引きかけて涙を人に包む間に 裏や朽ちなん夜半の衣は
- 次の歌
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しばしこそ濡るる袂も絞りしか 涙に今は任せてぞ見る