野分する野辺の気色を見る時は
心なき人あらじとぞ思ふ
- 歌の意味
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野分の吹き荒れる野辺の様子を見るときは、情趣を解さない人などいないだろうと思う。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 258
詞書「百首歌奉りける時、秋の歌とてよめる」
崇徳院に百首歌を奉った際に、「秋」を題として詠んだ歌である。野分が吹き荒れて草木が乱れ伏す野辺の様子を見るときは、どんな人でも心を動かされずにはいられず、情趣を解さない人などいないだろうと思う、と詠む。荒々しい野分の野にも深いあわれを見いだし、その感動の大きさを、誰もが心ある人になるという形で表している。
作者の「藤原季通朝臣」は権大納言藤原宗通の子である。太政大臣藤原伊通の弟にあたり、琵琶や箏など管弦の名手としても知られた。崇徳院の久安百首の作者の一人である。
本歌と次歌の第二百五十九首は、ともに久安百首で「秋」を題として詠まれた歌である。
初句「野分する」の「野分」は、秋に野の草を分けて吹く暴風をいう。
二句「野辺の気色を」の「気色」は様子、ありさまの意で、野分に吹き乱された野の景をいう。
三句「見る時は」は、見るときは、の意である。
四句「心なき人」は、情趣を解さない人、の意である。
結句「あらじとぞ思ふ」の「あらじ」は、いないだろう、の意で、野分の縁で「嵐」の響きを含む。「ぞ」は係助詞で、「思ふ」と連体形で結ぶ。
のわき:秋に野の草を分けて吹く暴風
あらじ:いないだろう、の意で、野分の縁で「嵐」の響きを含む
- 作者
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藤原季通
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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秋来れば宿にとまるを旅寝にて 野辺こそ常の住処なりけれ
- 次の歌
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夕されば野辺の秋風身にしみて 鶉鳴くなり深草の里