さもこそは影とどむべき世ならねど
跡なき水に宿る月かな
- 歌の意味
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いかにも、姿をとどめておけるような世ではないけれども、跡も残さず流れ去る水に宿っている月であることよ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 1012
詞書「水上月といへる心を詠める」
「水上の月」という題で詠んだ歌である。いかにも姿をとどめておける世ではないけれども、跡も残さない水に宿る月であることよ、と詠む。何ものもとどまらない無常の世であることを認めながら、流れて跡も残さない水にさえ月がしばし影を宿すさまに、はかなさと美しさを見いだしている。
作者の「藤原家基」は平安時代後期の歌人で、伝記の詳細は明らかでない。
前歌の第千十一首が水草に覆われて月の映らない井戸の水を詠むのに対し、本歌は流れ去る水に宿る月を詠む。また本巻の第九百八十二首の「宿らぬ水のいかでなからん」とも、水に宿る月を詠む点で通っている。
初句「さもこそは」は、いかにも、そのとおり、の意で、三句の「ねど」と呼応して譲歩を表す。
二句「影とどむべき」の「影」は姿の意で、姿をとどめておけるような、の意である。
三句「世ならねど」の「ね」は打消しの助動詞「ず」の已然形、「ど」は逆接の接続助詞で、世ではないけれども、の意である。
四句「跡なき水に」は、流れ去って跡も残さない水に、の意で、無常をたとえている。
結句「宿る月かな」の「宿る」は、月の影が水に映る意で、「かな」は詠嘆の終助詞である。本巻の第九百八十二首の四句「宿らぬ水の」と応じる。
かげ:姿、光
とどむ:とどめる、残しておく
やどる:月の影が水などに映る
- 作者
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藤原家基
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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ふるさとの板井の清水みくさゐて 月さへすまずなりにけるかな
- 次の歌
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何となくながむる袖の乾かぬは 月の桂の露や置くらん