滝の音は絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れてなほ聞こえけれ
- 歌の意味
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滝の水音は絶えてから長い年月がたってしまったけれども、その名声だけは流れ伝わって、今もなお世に聞こえていることだ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 1035
詞書「嵯峨の大覚寺にまかりて、これかれ歌詠み侍りけるに詠み侍りける」
嵯峨の大覚寺に出かけ、人々と歌を詠んだ時の歌である。滝の音は絶えて久しくなったけれども、名は流れ伝わって今もなお聞こえている、と詠む。大覚寺の前身である嵯峨院に造られた滝は、すでに涸れて音も絶えていたが、その名声だけは今も世に伝わっていると、往時をしのんでいる。「流れ」「聞こえ」は滝の縁語で、滝の名残を言葉の上でよみがえらせている。この滝はのちに名古曽の滝と呼ばれた。
作者の「前大納言公任」は藤原公任である。関白藤原頼忠の子で、権大納言にのぼった。詩歌管弦にすぐれ、『和漢朗詠集』を撰び、歌論書『新撰髄脳』を著した。小倉百人一首にも歌が採られている。
本歌は小倉百人一首に採られている。前歌の第千三十四首が滝の音によって滝と知ると詠むのに対し、本歌は音の絶えた滝の名を詠み、滝の音の有無が対をなしている。また本巻の第千三十首の「名は残りけり」とも、ものは失われても名が残ることを詠む点で通う。なお原文の詞書は「大学寺」と表記するが、嵯峨の大覚寺の意であるので、ここでは「大覚寺」とした。
初句「滝の音は」は、滝の水音は、の意である。六音の字余りである。前歌の第千三十四首の四句から結句「落ち来る滝の音せざりせば」と応じる。
二句「絶えて久しく」は、絶えてから長い年月が、の意である。
三句「なりぬれど」の「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形、「ど」は逆接の接続助詞で、なってしまったけれども、の意である。
四句「名こそ流れて」の「名」は名声、「流れ」は世に伝わる意で、滝の縁語である。「こそ」は強意の係助詞で、結句の「けれ」で結ぶ。本巻の第千三十首の結句「名は残りけり」と応じる。
結句「なほ聞こえけれ」の「聞こゆ」は評判が伝わる意で、滝の音の縁語でもある。「けれ」は詠嘆の助動詞「けり」の已然形で、今もなお聞こえていることだ、の意である。
な:名声、評判
きこゆ:評判が世に伝わる
なこそのたき:大覚寺にあった滝の跡
- 作者
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藤原公任
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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白雲にまがひやせまし吉野山 落ち来る滝の音せざりせば
- 次の歌
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抜けば散る抜かねば乱るあしひきの 山より落つる滝の白玉