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春日山松に頼みをかくるかな
藤の末葉の数ならねども

歌の意味
春日山の松に頼みをかけることだ。藤の末葉のように、藤原氏の末流で物の数にも入らない身ではあるけれども。
鑑賞
巻第十七 雑歌中 1077

詞書「崇徳院御時、十五首歌奉りける時、述懐の心を詠める」
 崇徳院の御代に十五首歌を奉った時、述懐の題で詠んだ歌である。春日山の松に頼みをかけることだ、藤の末葉の数にも入らない身ではあるけれども、と詠む。春日山は藤原氏の氏神である春日社の山で、松にからみつく藤のように、藤原氏の末流である自分も春日の神の加護に頼みをかけている。取るに足りない身と卑下しながらも、一門の守り神にすがって身の行く末を願う心を詠んでいる。
 作者の「右兵衛督公行」は藤原公行である。太政大臣藤原実行の子で、右兵衛督をつとめた。
 前歌の第千七十六首と同じく、官途の望みを述べる述懐の歌である。また本巻の第千七十九首、第千八十三首、第千九十六首と同じく、我が身を「数ならぬ」ものと卑下している。

 初句「春日山」は大和国の歌枕で、藤原氏の氏神である春日社の背後の山である。
 二句「松に頼みを」は、松に藤がかかるように、春日の神に頼みをかける、の意である。
 三句「かくるかな」は、頼みをかけることだ、の意で、藤が松に掛かることを響かせている。ここで句切れとなる。
 四句「藤の末葉の」は、藤の枝先の葉の意で、藤原氏の末流である我が身をたとえている。
 結句「数ならねども」は、物の数にも入らないけれども、の意である。倒置によって三句に返る。本巻の第千七十九首、第千九十六首の初句「数ならで」、第千八十三首の初句「数ならぬ」と、我が身を卑下する言葉を共有する。

かすがやま:大和国の歌枕で、藤原氏の氏神である春日社の山
すゑば:草木の先の方の葉、転じて子孫、末流
たのみ:頼りにすること
作者
藤原公行
出典
千載和歌集
前の歌
位山花を待つこそ久しけれ 春のみやこに年は経しかど
次の歌
物思ふ心や身にも先立ちて 憂き世を出でんしるべなるべき