- 歌の意味
-
かりそめに訪れて帰っていく私の袂は、俗人のままで変わらないけれども、心だけは墨染の衣の袖をまとった僧になっていることだ。
- 鑑賞
-
巻第十七 雑歌中 1136
詞書「秋の頃山に登りて、横川の安楽の五僧のもとにまかれりけるに、正法房の障子に書きつけ侍りける」
秋のころ比叡山に登り、横川の安楽の五人の僧のもとを訪れた時、正法房の障子に書きつけた歌である。かりそめに帰る袂は変わらないが、心だけは墨染の袖である、と詠む。僧たちを訪ねても、自分は俗人の身のまま帰っていくのであり、その装いは何も変わらない。けれども、清らかな修行の暮らしに触れた心だけは、僧の墨染の衣をまとったように仏道へ向かっていると、出家への憧れを書き残している。
作者の「藤原公衡朝臣」は平安時代後期の公卿で、歌人として知られる。
次歌の第千百三十七首と結句「墨染の袖」を共有する。本歌が俗人の身で心だけ墨染の袖をまとうと詠むのに対し、次歌は僧として墨染の袖で世の民を覆うと詠んでいる。また本巻の第千百十六首の結句「しひ柴の袖」と、袖の色に我が身を託す点で通う。
初句「なほざりに」は、かりそめに、何気なく、の意である。
二句「帰る袂は」は、訪れて帰っていく私の袂は、の意である。
三句「変はらねど」の「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形、「ど」は逆接で、変わらないけれども、の意である。
四句「心ばかりぞ」は、心だけは、の意で、「ぞ」は強意の係助詞である。結句の後に結びの語が略され、余情を残している。
結句「墨染の袖」は、墨で黒く染めた僧衣の袖で、体言止めである。次歌の第千百三十七首と同じ結句である。
すみぞめ:墨で染めた黒い色、僧衣の色
しやうじ:室内を仕切る建具、襖や衝立など
よかは:比叡山の三塔の一つ
- 作者
-
藤原公衡
- 出典
-
千載和歌集
- 前の歌
-
誰もみな露の身ぞかしと思ふにも 心とまりし草の庵かな
- 次の歌
-
おほけなく憂き世の民におほふかな 我が立つ杣にすみぞめの袖