古典和歌stream

薪尽き煙も澄みて去りにけん
これや名残と見るぞ悲しき

歌の意味
薪が尽き、煙も消えて空が澄み、仏はこの世を去ってしまわれたのだろう。これがその名残かと仏舎利を見るのが悲しい。
鑑賞
巻第十九 釈教歌 1209

詞書「天王寺に参りて、舎利を拝み奉りて詠み侍りける」
 四天王寺に参詣して、仏舎利を拝んで詠んだ歌である。薪が尽き煙も澄んで仏は去ってしまったのだろう、これがその名残かと見るのが悲しい、と詠む。法華経序品には、仏の入滅を、薪が尽きて火が消えることにたとえる句がある。釈迦の荼毘の煙も消えて仏はこの世を去り、その名残として残る舎利を拝みながら、仏に会えなかった身を悲しんでいる。
 作者の「瞻西上人」は平安時代後期の天台宗の僧で、京都東山の雲居寺に住み、阿弥陀の大仏を造立したことで知られる。
 本巻の第千二百五十四首も天王寺で舎利を拝んで詠んだ歌で、ともに荼毘の煙と舎利を詠む。本歌が名残を見るのを悲しいと詠むのに対し、同歌は消えない名残を見るのをうれしいと詠み、悲しみと喜びとで対をなしている。

 初句「薪尽き」は、荼毘の薪が燃え尽きて、の意で、仏の入滅を薪が尽きて火が消えることにたとえる経文をふまえている。
 二句「煙も澄みて」は、荼毘の煙も消えて空が澄み、の意である。本巻の第千二百五十四首の三句「煙にて」と照らし合う。
 三句「去りにけん」の「に」は完了、「けん」は過去推量の助動詞で、去ってしまったのだろう、の意である。ここで句切れとなる。
 四句「これや名残と」の「これ」は舎利を指し、「や」は疑問の係助詞で、これが名残なのか、の意である。
 結句「見るぞ悲しき」の「ぞ」は強意の係助詞で、形容詞の連体形「悲しき」で結ぶ。本巻の第千二百五十四首の結句「見るぞうれしき」と同じ形で、悲しきとうれしきとが対になっている。

しやり:釈迦の遺骨
てんわうじ:摂津国にある四天王寺
だび:火葬
作者
瞻西
出典
千載和歌集
前の歌
入る月を見るとや人は思ふらん 心をかけて西に向かへば
次の歌
夢覚めんその暁を待つほどの 闇をも照らせ法の灯火