關山のせきともあられぬなみたこそ
近江の海と流いつらめ
- 歌の意味
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逢坂の関山の関でさえ、せき止めることのできない私の涙こそが、近江の海となって流れ出ているのだろう。
- 鑑賞
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八月になり、和泉式部は所在なさを慰めようと、七日ほどこもるつもりで石山寺に参詣した。帥の宮は、久しく便りをしていなかったと思って文を遣わそうとしたが、小舎人童が「先日参りましたが、この頃は石山寺にいらっしゃるそうです」と申し上げたので、「それでは今日はもう暮れた。明朝行け」と命じた。童は帥の宮の文を持って石山寺へやって来た。和泉式部は仏の御前にいても心はそこになく、都のことばかりが恋しく、このような物詣でも以前とすっかり変わってしまった身の上ゆえだと思うと悲しく、ひたすら仏を念じていた。そのとき高欄の下の方に人の気配がしたので、不審に思って見下ろすと、あの童であった。思いがけない所へ来てくれたことに心を動かされ、わけを尋ねさせると、童は文を差し出した。和泉式部はいつもより急いで文を開いた。
女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。石山寺は近江国(現在の滋賀県大津市)にある観音の霊場で、都からは逢坂の関を越えた先にある。
帥の宮から「尋ゆく逢坂山のかひもなくおほめくはかりわするへしやは」と「うきによりひたやこもりと思ふとも近江の海は打出て見よ」が届き、和泉式部はただこの歌を返した。
和泉式部は、この歌の端に「心みにをのが心もこゝろみむいさ都へときてさそひ見ん」を書き添えた。
初句と第二句の「關山のせきともあられぬ」は、関山の関としても、とどめることのできない、という意味で、「関山」は逢坂の関のある山をいい、「せく」はせき止める意である。帥の宮の歌の「逢坂山」を受けている。
第三句から結句の「なみたこそ近江の海と流いつらめ」は、涙こそが近江の海となって流れ出ているのだろう、という意味で、「こそ〜らめ」は係り結び、「らめ」は現在推量の助動詞「らむ」の已然形である。帥の宮の「近江の海」を受け、眼下の広大な琵琶湖を自分の涙が流れ出たものと誇張して、山にこもりながらも絶えず流れる恋の涙を訴えている。
関山(せきやま):関所のある山。ここでは逢坂山
堰く(せく):流れをせき止める
- 作者
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和泉式部
- 出典
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和泉式部日記
- 前の歌
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うきによりひたやこもりと思ふとも 近江の海は打出て見よ
- 次の歌
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心みにをのが心もこゝろみむ いさ都へときてさそひ見ん