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心ありて引き手の綱のたゆたはば
うち過ぎましや須磨の浦波

歌の意味
本当に心があって引き手の綱がためらうのなら、須磨の浦波を通り過ぎたりなさるでしょうか。
鑑賞
第一部 須磨

 五節の君の歌を受けて、源氏が返したのがこの歌である。心があるというのなら通り過ぎるはずがないと、軽く切り返している。文を見て微笑む源氏の様子は、こちらが恥ずかしくなるほど美しいものであった。末尾には、漁をしようとは思っていなかったのだがと書き添えられている。駅の長に詩を与えた故事よりも、この地に留まりたい気持ちが強かったと物語は結んでいる。

 「心ありて」は情理をわきまえての意で、相手の歌の「たゆたふ心」を受けている。「引き手の綱」も相手の「綱手縄」を受け直した語である。「たゆたはば」は仮定の形で、本当にためらうならばということである。「うち過ぎましや」は通り過ぎたりするだろうかという反語である。相手の設定した綱の景をそのまま用いながら、事実によって言葉を試すという形になっており、機知の応酬として整っている。

心あり:情理をわきまえている。
引き手の綱:舟を引く綱。
たゆたふ:揺れ動く、ためらう。
うち過ぐ:通り過ぎる。
浦波:入り江に寄せる波。
作者
紫式部
出典
源氏物語
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