八百よろづ神もあはれと思ふらむ
犯せる罪のそれとなければ
- 歌の意味
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八百万の神々も哀れと思ってくださるだろう。犯した罪というものが、これといってないのだから。
- 鑑賞
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第一部 須磨
海の面はうららかに凪ぎわたり、行く先も分からぬままに来し方行く末が思い続けられる。そこで詠まれたのがこの歌である。ところがこの直後、にわかに風が吹き出して空はかき曇り、祓えも終わらぬうちに人々は立ち騒ぐことになる。雷鳴と豪雨に襲われて世の終わりかと恐れる中、源氏だけは静かに経を誦していた。暁方、夢に龍王らしき者が現れ、須磨での日々は限界を迎える。
「八百よろづ神」は数多くの神々のことである。「あはれと思ふ」は同情する、哀れと感じるという意である。「犯せる罪のそれとなければ」は、これという罪を犯してはいないからという意で、自らの潔白を述べている。前の歌の「雲近く」と同じく無実を訴える型であるが、ここでは神に向けて述べた直後に嵐が起こるという展開になっており、この一首が須磨巻の最後の歌として、次の明石巻へ物語を送り出す位置に置かれている。
八百よろづ神:数多くの神々。
あはれ:しみじみとした同情。
犯す:罪を犯す。
それとなし:これといったものがない。
- 作者
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紫式部
- 出典
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源氏物語
- その他の歌
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