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行くと来とせきとめがたき涙をや
絶えぬ清水と人は見るらむ

歌の意味
下って行く時も上って来る時も、せき止めることのできないこの涙を、人は絶えることのない関の清水と見るのだろうか。
鑑賞
第一部 関屋

 常陸介の任期が明け、空蝉は夫とともに帰京の途につく。その一行が逢坂の関に入る日、源氏は石山寺へ願ほどきの参詣に向かっていた。行列に道を譲るため車は関山に寄せられ、九月晦日の紅葉と霜枯れの草の中、供の者たちが木隠れに畏まって見送る。源氏は車の簾を下ろしたまま、かつての小君で今は右衛門佐となった弟を呼び、関まで迎えに出た甲斐をお忘れになるなと伝えさせた。それを聞いた空蝉が胸のうちで詠んだのがこの歌である。

 「行くと来と」は下って行く時と上って来る時のことで、常陸への下向と今回の帰京を指す。「せきとめがたき」はせき止めることができないという意に、逢坂の「関」を掛けている。「絶えぬ清水」は関の名所であった関の清水のことで、涙が尽きないさまを重ねる。人には見えない涙を関の名所に見立てる構成で、源氏に届けられることのない独詠として置かれている点にこの一首の位置がある。

行くと来と:下って行く時と上って来る時。
せきとむ:せき止める。「関」を掛ける。
絶えぬ清水:関の清水。歌枕。
人:世間の人。
作者
紫式部
出典
源氏物語
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