かきたれてのどけきころの春雨に
ふるさと人をいかに忍ぶや
- 歌の意味
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降りしきって、のどかなこのごろの春雨に、昔なじみの私のことを、どのように思い出してくださっているでしょうか。
- 鑑賞
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第一部 真木柱
二月になった。源氏は、大将のなんと無情な仕打ちかと、こうまできっぱり奪われるとは思わず油断していた恨めしさを、人前に体裁が悪いほど、いつも心にかけて恋しく思い出される。自分のうかつさから招いた物思いだと知りながら、起きても寝ても面影に立つ。あの無風流な人と一緒では冗談ひとつ言えまいと堪えていらしたが、雨がひどく降ってのどかなころ、こうした所在なさの紛らわし所として、かつて玉鬘のいた部屋に渡り、その語らいのさまが恋しくて文をお遣わしになる。右近のもとへ忍びで届けるのも、勘ぐられようと気にされて、詳しくは書き続けられず、多くを察するにまかせて書かれた。それがこの歌である。
「かきたれて」は雨がしきりに降りそそぐさま。「のどけきころの春雨」はのどかに降り続く春の雨で、源氏の鬱屈した気分を映す景である。「ふる」は雨が「降る」意に「古る」を掛け、そのまま「ふるさと人」を導く。「ふるさと人」は昔なじみの人、すなわち源氏自身をさす。「いかに忍ぶや」はどのように思い出しているかという問いで、恨みを直接には言わず、思い出してくれているかとだけ尋ねる。核心を言わずに相手の推量にゆだねる書きぶりは、この文の全体の調子とも一致しており、養父の立場を保ちながら未練を伝えるという、きわどい均衡の上に立った一首である。
かきたる:雨がしきりに降りそそぐ。
のどけし:のどかである。しずかである。
春雨:春に降る雨。
ふる:雨が「降る」意に「古る」を掛ける。
ふるさと人:昔なじみの人。ここでは源氏自身。
- 作者
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紫式部
- 出典
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源氏物語
- その他の歌
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