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おぼつかな誰に問はましいかにして
初めも果ても知らぬわが身ぞ

歌の意味
気がかりでならないが、いったい誰に尋ねたらよいのだろうか、生まれた初めも行く末の果ても知らないこの身のことを。
鑑賞
第三部 匂宮

 光源氏が世を去った後の物語である。その面影を継ぐ者として世に並び称されたのが、今上帝と明石の中宮との間に生まれた三の宮(匂宮)と、女三の宮腹の若君(薫)であった。薫は生まれつき身に得も言われぬ香をそなえ、若くして冷泉院に実子同然にかわいがられ、順調に位を進めていた。しかし薫には、幼いころにほのかに耳にした事柄があり、それが折々いぶかしく、はっきりしないまま心にかかり続けていた。問いただすべき相手はなく、母の女三の宮に少しでもその気配を見せれば、知っていたのかと思われるのが心苦しい。そこで「どういうことであったのか、どのような宿縁で、こうも安らかでない思いのつきまとう身に生まれ出たのだろう。善巧太子がわが身に問うて得たという悟りを得たいものだ」と独り言をもらし、続けて口ずさまれたのがこの歌である。相手のない独詠であるから返歌はない。この後、薫の厭世の思いと仏道への傾きはいっそう深まり、宇治の八の宮を訪ねる橋姫巻へと物語は進んでいく。

 「おぼつかな」は、はっきりせず気がかりだという意である。「誰に問はまし」の「まし」はためらいを含んだ言い方で、尋ねる相手がいないという嘆きがそのまま歌の形になっている。「初め」は自分がどのようにして生まれたかということ、「果て」は行く末や死後のことを指し、出生のいきさつも未来も知らないままの身であることを述べている。地の文で「問ふべき人もなし」と語られた状況が、そのまま歌の言葉になっており、直前の独り言と重ねて読むと、疑いの中身そのものは伏せられたまま、問えないという苦しさだけが表に出ていることが分かる。源氏物語の匂宮巻に置かれた和歌はこの一首だけで、しかも贈答ではなく独詠である。薫という人物の出発点を告げる歌として、宇治十帖全体の主題を先取りする位置にある。

おぼつかな:気がかりで、はっきりしない。
問はまし:尋ねたらよいのだろうか、というためらいを含んだ言い方。
初め:生まれてきた由来、出生のいきさつ。
果て:行く末、死後のこと。
善巧太子:仏典に見える太子の名。わが身の上を問うて悟りを得たという。
宿縁:前世から定まっているという因縁。
独詠:相手に贈るのではなく、一人で口ずさむ歌。
作者
紫式部
出典
源氏物語
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