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あふ坂の關やなになり近けれど
越えわびぬればなげきてぞ經る

歌の意味
逢坂の関とはいったい何なのだろう。近いけれど越えかねているので、嘆きながら日を過ごしている。
鑑賞
 兼家から重ねて文が届いても、作者は返事をしないままでいた。父倫寧が「畏れ多いことだ。しっかりした形でお返事申し上げるのがよかろう」と言い、しかるべき人に代筆させて送らせる。兼家はそれを真面目に喜んで頻繁に文を通わせるが、書き手が本人でないことに不満を漏らし、たびたび本人からの返事を求めるようになる。作者の側はそのつど代筆でまぎらわせ、まじめな文のやりとりだけで月日が過ぎていく。やがて秋になり、贈答を重ねるうちに二人の関係は結婚へと進んでいく。
 兼家は藤原師輔の三男で、当時は右兵衛佐。のちに摂政関白太政大臣に至る。作者は藤原倫寧の娘。倫寧は受領層の人で、この年の暮れに陸奥守として任国へ下る。
 天暦八年の秋のことで、場所は作者の父倫寧の邸である。
 「高砂のをのへわたりにすまふともしかさめぬべきめとは聞かぬを」と切り返されてしばらく間を置いたのち、あらためて詠み送られた歌である。
 この歌に対して作者は「越えわぶるあふ坂よりも音に聞くなこそをかたき關としらなむ」と返す。以後もまじめな文が通い合い、やがて結婚が成立して「夕ぐれの流れくるまをまつほどになみだおほゐの川とこそなれ」以下の贈答へと続いていく。

 初句の「あふ坂」は逢坂の関に「逢ふ」を掛けた常套の言い回しで、逢うことを妨げるものの象徴として用いられる。二句の「關やなになり」は、その関はいったい何であるのか、という反語めいた問いかけで、逢えない理由が分からないもどかしさをあらわす。三句の「近けれど」は、住まいが近く逢えそうでいて逢えない状況をさす。四句の「越えわびぬれば」の「わぶ」は〜しかねるという意の補助動詞で、越えようとしてもできない意。結句の「なげきてぞ經る」は「ぞ」の結びで、日々を嘆いて過ごすと訴える。地名を借りて逢えぬ嘆きを述べる、求婚歌の定型に沿った一首である。

逢坂の関(あふさかのせき):山城と近江の境にあった関。「逢ふ」を掛けて用いられる。
わぶ:〜しかねる。つらく思う。
経(ふ):時を過ごす。年月を送る。
作者
藤原兼家
出典
蜻蛉日記
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