思ふこと大井の川の夕ぐれは
こゝろにもあらずなかれこそすれ
- 歌の意味
-
物思いの多い大井の川の夕暮れは、心ならずも流れてしまうのだ。
- 鑑賞
-
兼家から重ねて文が届いても、作者は返事をしないままでいた。父倫寧が「畏れ多いことだ。しっかりした形でお返事申し上げるのがよかろう」と言い、しかるべき人に代筆させて送らせる。兼家はそれを真面目に喜んで頻繁に文を通わせるが、書き手が本人でないことに不満を漏らし、たびたび本人からの返事を求めるようになる。作者の側はそのつど代筆でまぎらわせ、まじめな文のやりとりだけで月日が過ぎていく。やがて秋になり、贈答を重ねるうちに二人の関係は結婚へと進んでいく。
兼家は藤原師輔の三男で、当時は右兵衛佐。のちに摂政関白太政大臣に至る。作者は藤原倫寧の娘。倫寧は受領層の人で、この年の暮れに陸奥守として任国へ下る。
天暦八年の秋のことで、場所は作者の父倫寧の邸である。
涙が大井の川になると訴えてきた兼家の歌に対する返しとして詠まれた。
この贈答ののち、三日ばかりの朝に「しのゝめにおきけるそらにおもほえで怪しく露と消えかへりつる」が送られてくる。
相手の「おほゐ」「川」「夕ぐれ」をそのまま取って返している。初句の「思ふこと」は心にかかる物思いで、これを二句の「おほゐ」に続けることで、相手が涙の多さに掛けた「多い」を、こちらは物思いの多さへと取りなしている。四句の「こゝろにもあらず」は自分の意志に反して、の意。結句の「なかれ」は水の「流れ」に「泣かれ」を掛けたもので、涙が自然にこぼれることをいう。「こそすれ」は係り結びで、相手の「こそなれ」に形をそろえた応じ方になっている。相手の掛詞を別の意味へずらして返す点に機知があり、贈答としての釣り合いがよく取れている。なお二句以下は底本により「ころも」とする本文もある。
思ふこと:物思い。心にかかる思い。
なかれ:「流れ」に「泣かれ」を掛ける。
- 作者
-
藤原道綱母
- 出典
-
蜻蛉日記
- その他の歌
-