思ほえぬ垣ほにをれば撫子の
はなにぞつゆはたまらざりけり
- 歌の意味
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思いがけない垣根にいるので、撫子の花には露もたまらないのだ。
- 鑑賞
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結婚が成立したのち、作者は事情があってしばらく仮の宿に身を寄せていた。そこへ兼家が訪れ、翌朝に文をよこす。九月になると物忌みが重なって二夜ばかり姿を見せず、文だけが通う。やがて訪れが途絶えがちになり、雨の降った日暮れに来るとだけ言ってきたり、十月には物忌みを口実に来られないと言ってきたりする。そのたびに歌が贈答され、作者は待つ側の心細さを重ねていく。こうした贈答が続くうちに、父倫寧が陸奥へ下る日が近づいてくる。
兼家は藤原師輔の三男で、当時は右兵衛佐。のちに摂政関白太政大臣に至る。作者は藤原倫寧の娘。倫寧は受領層の人で、この年の暮れに陸奥守として任国へ下る。
天暦八年、結婚が成立して間もない秋のことで、場所は作者が仮に身を寄せていた旅なる所である。
兼家が訪れた翌朝、「今日だけでものどかにと思っていたが、都合が悪そうだったので。いかがですか、私には山隠れとしか思われません」という文が届いた。その返事として、ただこの歌だけを書き送った。
この贈答ののち九月になり、物忌みが重なって兼家が姿を見せなくなると、「消えかへる露もまだひぬ袖の上に今朝はしぐるゝ空もわりなし」が詠まれることになる。
初句の「思ほえぬ」は思いもよらない、予期しない、の意で、慣れない仮住まいをさす。二句の「をれば」は居るの意だが、花の縁から「折れば」を掛けると見る解もある。三句の「撫子」は作者自身をたとえた花で、当時の歌ではしばしば女や愛する者に見立てられる。四句から結句にかけての「はなにぞつゆはたまらざりけり」は、花に露がとどまらないという景で、「ぞ〜けり」の係り結びが詠嘆を強める。「露」は涙とも、相手の情けともとれる。落ち着かない仮の住まいでは心も定まらないという嘆きを、花と露の景に託して述べており、直接には恨みを言わない。
垣ほ(かきほ):垣根。
撫子(なでしこ):ここでは作者自身をたとえる。
露(つゆ):涙、また相手の情けをたとえる。
をる:「居る」の意。花の縁から「折る」を掛けるとも解される。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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