氷るらむよかはの水に降る雪も
わがごと消えてものは思はじ
- 歌の意味
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凍っているだろう横川の水に降る雪も、私のように消え入る思いで物思いをすることはあるまい。
- 鑑賞
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作者にとって頼みとする父倫寧が、陸奥へ旅立つことになった。季節はしみじみと心に沁みるころで、兼家とはまだ見慣れたと言えるほどの仲でもなく、逢うことも稀にしかない。心細さは何にもたとえようがなかった。出立の日には、行く父も涙をこらえきれず、残る作者はなおさら言いようもなく悲しい。出発の時刻が過ぎたと言われるまで出てゆくこともできず、父は硯に文を巻いて押し入れ、はらはらと泣いて出ていった。しばらくは見る気にもなれなかったが、皆が出はてたのち、気を静めて開いてみると歌が書かれていた。作者はそれを、見るべき人に見せよという意味だとまで思って胸が詰まり、もとのように置いておく。やがて兼家が訪れ、作者が目も合わせず思い沈んでいるのを見て言葉をかけ、硯の文を見つけて返しを詠んだ。その後、日が経つにつれ旅の空を思いやるにつけても、兼家の心はさほど頼もしそうには見えなかった。
藤原倫寧は作者の父で、受領層の人。この年、陸奥守として任国へ下る。兼家は藤原師輔の三男で、当時は右兵衛佐。のちに摂政関白太政大臣に至る。作者は倫寧の娘で、兼家と結婚して間もない。
天暦八年十二月のことで、兼家は用があって横川へ上っており、作者は自身の住まいにいる。
横川に滞在している兼家から「雪に降りこめられて、しみじみと恋しく思うことが多い」と言ってきたのに添えて詠み送られた。
この歌をもって天暦八年は暮れ、地の文は「その年はかなく暮れぬ」と記す。年が改まって、「知られねば身を鶯のふりいでつゝなきてこそ行け野にもやまにも」の場面へと移っていく。
初句の「氷るらむ」は、今ごろ凍っているだろうという現在推量で、遠く離れた山中の様子を思いやる形を取る。二句の「よかは」は比叡山の横川で、兼家が滞在している場所をそのまま歌に取り込んでいる。三句の「降る雪も」は、相手が言ってきた「雪に降りこめられて」の語を受けたもので、贈られた言葉をそのまま素材にしている。四句の「わがごと消えて」は、雪が消えることに我が身の消え入る思いを重ねた言い方で、「氷る」「水」「雪」「消え」はいずれも縁語をなす。結句の「ものは思はじ」は打消の推量で、雪でさえ私ほどには物思いをするまい、と言い切る。相手の恋しさの訴えに対し、こちらの物思いのほうが深いと切り返しており、父を見送ったあとの心細さがその底にある。
横川(よかは):比叡山の一区域。
消ゆ:消える。消え入るような心地になる。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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