知られねば身を鶯のふりいでつゝ
なきてこそ行け野にもやまにも
- 歌の意味
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知ってもらえないので、我が身を鶯のように声を振り立てて、泣きながら行くのだ、野にも山にも。
- 鑑賞
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年が改まって正月のころ、二三日訪れのないまま日が過ぎた。作者はほかへ移ろうとして、「あの人が来たら渡せ」と言い置き、歌を書き残していった。それに対して返しがあり、そうしたやりとりのうちに、なお穏やかでないことが重なって、作者は春から夏にかけて患い暮らす。そして八月の末に男子を産んだ。そのころの兼家の心づかいは、いかにもねんごろであるように見えた。
兼家は藤原師輔の三男で、当時は右兵衛佐。のちに摂政関白太政大臣に至る。作者は藤原倫寧の娘で、この年に生まれた男子がのちの藤原道綱である。倫寧はこの前年から陸奥守として任国にある。
天暦九年の正月ごろのことで、場所は作者の住まいである。
二三日訪れのないまま、作者がほかへ移ろうとして、来訪した兼家に渡すよう言い置いて書き残していった歌である。
これに対して兼家から「うぐひすのあたにて行かむ山べにもなく聲聞かば尋ぬばかりぞ」という返しがあった。その後、穏やかでないことが重なって作者は春夏を患い暮らし、八月末に道綱を産む。やがて九月ごろ、ほかの女あての文を見つける場面へと移っていく。
初句の「知られねば」は、こちらの気持ちを分かってもらえないので、の意で、訪れの絶えたことへの恨みを含む。二句の「身を鶯の」は、我が身を鶯になぞらえる言い方。三句の「ふりいでつゝ」は声を振り立てる意で、鳥の鳴き声と人の泣き声の両方にかかる。四句の「なきて」は「泣きて」に「鳴きて」を掛けた語で、この一語が歌の要をなす。「こそ〜行け」は係り結びで、行くという行為を強く言い切る。結句の「野にもやまにも」は行き先を定めない言い方で、鶯が春に山から里へ、また野山へと移る習性に添いながら、どこへなりと行ってしまうという拗ねた気持ちをあらわす。書き置きという形が、直接には言えない恨みの言い方をよく生かしている。
ふりいづ:声を振り立てる。
なく:「泣く」に「鳴く」を掛ける。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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