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待つほどのきのふ過ぎにし花のえは
今日折る事ぞかひなかりける

歌の意味
待っていた昨日が過ぎてしまった花の枝は、今日折っても甲斐のないことだ。
鑑賞
 年が改まって三月ごろになった。桃の花などを用意していたのだろうか、待っていたが兼家は見えない。いつもは離れずにいる今一かたも、その日は姿を見せなかった。四日の朝になって皆が揃って姿を見せ、昨夜から待ち暮らしていた品々を、そのままにしておくよりはと言って取り出す。心を込めて用意してあった花を折り、内側の方から出してあるのを見ると、平静ではいられずに手習いのように歌が書きつけてあった。兼家はそれを隠そうとする様子を見て奪い取り、返しを詠む。今一かたもそれを聞いて、自分が離れていた理由を歌に詠んだ。こうして兼家は、町の小路の女のもとへ通うことを今やわざと表立って見せるようになる。もとは作者に不審を抱かせまいとする気配もあったのに、今はどうしようもなく心憂い。そのうえ、今一かたが出入りするのを見ながら過ごしていたところ、今は気楽な所へと言って、その人を連れて移してしまう。残る作者はいっそう心細く、顔を見ることも難しくなるのだと思うと本当に悲しくなって、車を寄せるときに歌を詠み送った。返事は男のほうがした。
 兼家は藤原師輔の三男で、当時は右兵衛佐。のちに摂政関白太政大臣に至る。作者は藤原倫寧の娘。今一かたは作者の姉妹にあたる人で、原文はその呼び名のみを記す。町の小路の女も素性を明かされないまま呼ばれる女である。
 天暦十年三月四日の朝のことで、場所は作者の住まいである。
 三月三日の節句に用意していた花を、待ったかいもなく翌日になって折り出したときに、心を静めきれずに手習いのように書きつけた歌である。
 兼家はこれを隠そうとする作者の様子を見て奪い取り、「みちとせをみつべきみには年每にすくにもあらぬ花と知らせむ」と返した。この贈答ののち、町の小路の女のことが表立ってあらわれ、さらに姉妹との離別の場面へと続いていく。

 初句から二句の「待つほどのきのふ過ぎにし」は、待っていた昨日が過ぎてしまった、の意で、節句の当日に来なかったことをさす。三句の「花のえ」の「え」は枝で、桃の節句のために用意しておいた花を指す。四句の「今日折る事ぞ」は、日を過ぎた今日になって折ることを言い、「ぞ」が結句の「かひなかりける」を導く係り結びとなる。「かひなし」は、しても意味がない、無駄である、の意。花は一日を過ぎればもはや折る意味がない、という言い方に、待たされた一日への恨みを託している。地の文が「心たゞにしもあらで手ならひにしたり」と記すとおり、贈るつもりで整えた歌ではなく、思わず書きつけたものである点が、この歌の調子をよく説明している。

え(枝):枝。
折る:手折る。枝を折り取る。
手習ひ(てならひ):思いつくままに書きつけること。
作者
藤原道綱母
出典
蜻蛉日記
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