いかにせむ山の端にだにとゞまらで
こゝろも空に出でむ月をば
- 歌の意味
-
どうしよう。山の端にさえとどまらないで、心も上の空で出て行こうとする月を。
- 鑑賞
-
七月、相撲の節会のころ、兼家が古い装束と新しい装束を一そろいずつ包んで、これを仕立ててくださいと言ってよこした。作者は見るなり目もくらむ心地がする。古風な人は気の毒がるが、少し気のある者たちが寄り集まって、無闇なことだ、できずに悪く言われるほうがましだなどと言い定めて、そのまま返してやった。案の定、兼家はあちこちに持ち散らして仕立てさせていると聞く。あちらでもたいそう情がないと思ったのだろうか、二十日あまり音沙汰もない。どういう折であったか文が来て、参りたいけれども気が引けて、確かなことがあれば恐る恐るでも、とある。返事もするまいと思うが、周りの者があまりに情がないなどと言うので詠み送った。折り返し返しがあり、また使いが来たのでもう一首を送ると、兼家は言葉よくとりなして、ふたたび姿を見せた。前栽の花が色とりどりに咲き乱れているのを見やって歌を交わし、互いに恨むような内容になる。さらに夜が更けて、寝待ちの月が山の端に出るころに帰ろうとする気配があったので作者が歌を詠むと、兼家は返しを詠んでとどまった。そののち野分のようなことがあり、二日ほどして兼家が来た。作者が、先日の風はいかがでしたかと世間並みの人なら尋ねるでしょうに、と言うと、なるほどと思ったのか、何ということもなく歌を詠む。四首の応酬となり、作者は負けまいとする気持ちで言い返した。これはそう言うのももっともだと人は判じただろうか。また十月ごろ、よんどころない用があると言って出ようとする折、時雨というほどのものではない激しい降りようであるのに、なお出ようとするので、あきれて歌が口をついて出た。
兼家は藤原師輔の三男で、当時は右兵衛佐。のちに摂政関白太政大臣に至る。作者は藤原倫寧の娘。装束の仕立てをめぐって意見を述べる古代の人とは、古風な考えの年配の女房をさす。
天徳元年七月、相撲の節会のころの夜更けで、場所は作者の住まいである。
いつものように素知らぬふうで夜が更け、寝待ちの月が山の端に出るころ、兼家が帰ろうとする気配を見せた。それほどまでにしなくてもよい夜であるのにと思う気配が見えたのだろうか、とどまるだけの理由があればなどと兼家が言うので、そうも思われず詠んだ歌である。
この歌によって兼家はとどまった。以後もこの段の贈答は続き、やがて「言の葉は散りもやするととめ置きて今日はみからもとふにやはあらぬ」以下へと移っていく。
初句の「いかにせむ」は、どうしようもない、という嘆きから歌を起こす。二句の「山の端にだに」は、月が出る山の稜線をさし、「だに」が、せめてそこにさえ、という最小限の願いをあらわす。三句の「とゞまらで」は、とどまらないで、の意で、月が山の端を離れて空へ昇ることと、兼家がこの家にとどまらず出てゆくこととを重ねる。四句の「こゝろも空に」の「そら」は夜空であると同時に上の空の意を持ち、後朝の贈答の「しのゝめにおきけるそらにおもほえで怪しく露と消えかへりつる」以来、この日記で繰り返し用いられる語である。結句の「出でむ月をば」は体言止めで、下に続くはずの言葉を省いた形が、途方に暮れた心をそのまま残す。帰ろうとする相手を月に見立て、引きとめる言葉を言わずに嘆きだけを示す作りで、結果としてこの一首が兼家をとどめることになった。
山の端(やまのは):山の稜線。月の出入りする所。
そら:夜空に、上の空である意を掛ける。
- 作者
-
藤原道綱母
- 出典
-
蜻蛉日記
- その他の歌
-