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われがなををふちの駒のあればこそ
なつくにつかぬ身とも知られめ

歌の意味
我が名を負うというその駒があるからこそ、懐いていながら人につききらない身だとも知られるのだろう。
鑑賞
 こうしてまた、心の解ける夜もなく嘆かれるのに、なまじ利いた風なことを言う人などは、若い身空でこうしていてはなどと口を出すこともある。しかし当の兼家はいたって平然として、自分が悪いのかなどとは思いもよらぬ様子で、罪のないふうに振る舞うので、どうしようもない。よろずに思うことばかりが茂るのを、どうにかして事細かに言い知らせるすべがあればよいと思い乱れるとき、気に入らないことがあると胸が冷えて、ものも言えなくなるばかりである。それでもやはり書き続けて見せようと思って、長歌を詠み送った。返事も長歌で来た。そののち使いがあったので短歌を詠み送ると、兼家はどう思ったのか折り返し返し、さらに贈答が重ねられて、馬に寄せた四首の応酬となった。
 兼家は藤原師輔の三男で、当時は右兵衛佐。のちに摂政関白太政大臣に至る。作者は藤原倫寧の娘。父倫寧はこのとき陸奥守として任国にある。
 天徳元年の冬ごろのことで、場所は作者の住まいである。
 これきりになろうとするのかと問うてきた作者の歌に対し、兼家がどう思ったのか、折り返し返した歌である。
 これに対して作者は「こまうげになりまさりつゝなつけぬをこ繩絕えずぞ賴み來にける」を返し、さらに兼家が「白川の關のせけばやこまうくてあまたの日をばひき渡りつる」で応じて、この段は閉じる。

 相手の「なつく」「駒」をそのまま受けて返している。初句の「われがなを」は我が名を、の意で、二句の「をふち」に続く。ただしこの二句は底本に乱れがあり、語形も語義も定まらない。駒の名として地名を掛けたものと見る余地もあるが、確かなことは言えない。三句の「あればこそ」は、それがあるからこそ、の意で、結句の「知られめ」を導く係り結びとなる。四句の「なつくにつかぬ」は、懐きながらも人につききらない、の意で、相手が「なつくべき人も放てば」と言ったのを、放されたのではなく、もともと懐ききらぬ性の馬なのだと言いなす形になる。結句の「身とも知られめ」は、そういう身だと知られもしよう、の意。長歌の末尾で自分を御牧の荒馬にたとえた筋をそのまま延ばしたもので、繋ぎとめられないのは性分なのだと繰り返しており、詫びる調子はここにもない。

こま:馬。特に若い馬。
をふちの駒:底本に乱れがあり、語形
語義ともに定まらない。
作者
藤原兼家
出典
蜻蛉日記
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