白川の關のせけばやこまうくて
あまたの日をばひき渡りつる
- 歌の意味
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白河の関がせき止めるからだろうか、行きにくくて、幾日もの日を引きながら渡ってきたことだ。
- 鑑賞
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こうしてまた、心の解ける夜もなく嘆かれるのに、なまじ利いた風なことを言う人などは、若い身空でこうしていてはなどと口を出すこともある。しかし当の兼家はいたって平然として、自分が悪いのかなどとは思いもよらぬ様子で、罪のないふうに振る舞うので、どうしようもない。よろずに思うことばかりが茂るのを、どうにかして事細かに言い知らせるすべがあればよいと思い乱れるとき、気に入らないことがあると胸が冷えて、ものも言えなくなるばかりである。それでもやはり書き続けて見せようと思って、長歌を詠み送った。返事も長歌で来た。そののち使いがあったので短歌を詠み送ると、兼家はどう思ったのか折り返し返し、さらに贈答が重ねられて、馬に寄せた四首の応酬となった。
兼家は藤原師輔の三男で、当時は右兵衛佐。のちに摂政関白太政大臣に至る。作者は藤原倫寧の娘。父倫寧はこのとき陸奥守として任国にある。
天徳元年の冬ごろのことで、場所は作者の住まいである。
細い縄が切れずにいることだけを頼りにしてきたと返してきた作者の歌に対する応じで、この段の最後の一首にあたる。
この贈答をもって段は閉じ、以後、章明親王との交誼の場面へと移り、「天の河七日を契るこゝろあらばほしあひばかりのかげを見よとや」以下の贈答が始まる。
初句から二句の「白川の關のせけば」は、白河の関がせき止めるので、の意で、「関」と「せく」が同じ語根で響き合う。白河の関は陸奥への入口にあたる歌枕で、作者が「みちのくのうまやかぎり」と詠んだのを受け、同じ陸奥路の地名で応じている。三句の「こまうくて」は、行きにくくて、の意に「駒」を響かせた語で、相手の「こまうげになりまさりつゝ」をそのまま受ける。四句の「あまたの日をば」は幾日もの日を、の意。結句の「ひき渡りつる」は、馬を引いて渡る意に、日を引き延ばして過ごす意を掛けており、この一語が馬の縁語と時間の経過とを同時にあらわす。訪れが間遠になったことを、関にせき止められたせいだと言いなす形で、四首を通じて自分を馬の側に置き続けたまま、最後まで詫びる言葉を用いていない。長歌に始まったこの段の贈答が、地名と馬の縁語だけで閉じられる点に、二人の応酬の性格がよくあらわれている。
白川の関(しらかはのせき):陸奥国の歌枕。奥州三関の一つ。
せく:関などがさえぎり止める。
ひき渡る:馬を引いて渡る。日を引き延ばして過ごす意を掛ける。
- 作者
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藤原兼家
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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