君がこのまちの南にとみにおそき
はるにはいまぞたづねまゐれる
- 歌の意味
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あなたのおいでのこの町の南に、すぐにはうかがえず遅くなったが、この春には今こそ尋ね参ったことだ。
- 鑑賞
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年が改まって応和三年になったが、何ということもない。人の心が平常であるときは、万事おおらかに過ぎてゆくものであった。この正月から兼家は殿上を許されている。禊の日、例の宮から、物見をするのでその車に乗ろうと仰せがあった。御文の端にも一筆添えてある。ところが宮はいつもの御所にはおいでにならないのだった。町の小路のあたりかと思って参上すると、主がおいでですと言う。まず硯を借りてこう書いて差し入れると、宮はそのままご一緒に出かけられた。そのころが過ぎてから、宮が例の御所へお移りになったので参上したところ、去年も見たが花が趣深い。薄がむらむらと茂ってたいそう細やかに見えたので、これを掘り分けさせてくださるなら少しいただきたいと申し上げておいた。しばらくして河原へ出かける道すがら、宮邸が同じ道筋なので、これがあの宮だなどと言って童を使いに立てる。童が参上しようとするので、折もないことだ、先日申し上げた薄のことを伺候する人に言え、と言い置いてそのまま通り過ぎた。頼りない童なのでほどなく帰ってきて、宮から薄をと言う。見ると長櫃というものに立派に掘り立てて、青い色紙を結びつけてある。開いてみると歌が書かれていた。たいそう趣深いけれども、このお返しはどうしたものか。忘れるほど時が経つのを思えば、このままでもよかろう。けれど、先々もどうかと思われることだ。
兼家は藤原師輔の三男で、この年の正月から殿上を許されている。のちに摂政関白太政大臣に至る。作者は藤原倫寧の娘。宮は兼家が次官として仕えた役所の長官で、原文は人名を記さない。章明親王とされる。
応和三年の禊の日のことで、場所は宮が仮に滞在しておられた町の小路あたりの家である。
物見のために宮を車にお迎えしようと参上したところ、宮はいつもの御所ではなくこちらにおいでであった。まず硯を借りて書きつけ、差し入れた歌である。地の文は詠み手を明示せず、この歌のあと、宮がそのままご一緒に出かけられたことだけを記す。
そのころが過ぎてから、宮が例の御所へ戻られ、作者が薄を請い受ける場面へと移っていく。
初句から二句の「君がこのまちの南に」は、あなたのおいでになるこの町の南に、の意で、宮が仮に滞在しておられた場所をそのまま歌に取り込んでいる。ここで言う町とは、探しあぐねて見当をつけた町の小路のあたりをさす。三句の「とみにおそき」は、すぐにはうかがえず遅くなった、の意で、御所を訪ねてから居所を尋ね当てるまでに手間取ったことをいう。四句の「はるにはいまぞ」は、この春には今こそ、の意で、「ぞ」が結句の「まゐれる」を導く係り結びとなる。結句の「たづねまゐれる」の「まゐる」は参上するという謙譲の言い方で、身分の高い相手への挨拶にふさわしい。居所を探し当てた次第をそのまま歌にした、その場かぎりの挨拶の一首であり、硯を借りてすぐ書きつけたという事情がその軽さをよく説明している。なお底本には乱れがあり、三句の読みは定まらない。
まゐる:参上する。うかがう。
みそぎ:川辺で身を清める行事。
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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