敎へける月は西へぞ行くさきは
我のみこそはしるべかりけれ
- 歌の意味
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教えてあげよう、月は西へと行くもの。その行く先は、私だけが知っているはずのことだ。
- 鑑賞
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康保元年、春が過ぎて夏ごろ、兼家は宿直がちに内裏へ住まうようになった。早朝に来て一日いて、暮れるとまた参内するというありさまを、不審に思っていると、ひぐらしの初声が聞こえた。しみじみと胸を突かれて歌が口をついて出ると、兼家も出て行きにくかったのだろう。こうして何ということもないので、その心はやはり緩んでいってしまった。月夜のころ、つまらない話をして、しみじみとした事どもを語り合ったころのことが思い出されて、こう詠まれた。返事は戯れのようにあった。頼もしそうには見えるけれど、我が家と思っているらしい所は別にあるようなので、世の中はまったく思いのままにならないものであった。幸いのある人にとっては、長年連れ添った人も、多くの子を持つことも珍しくないのに、自分はこのように頼りなく、思うことばかりが茂るのだった。
兼家は藤原師輔の三男で、このころ宿直がちに内裏へ住まっていた。のちに摂政関白太政大臣に至る。作者は藤原倫寧の娘。我が家とおぼしき所とは、兼家が本拠としている別の家をさす。
康保元年の月夜のころで、場所は作者の住まいである。
曇り夜の月と我が身の行く末と、どちらが心もとないかと問うてきた作者の歌に対し、戯れのように返されたものである。
地の文は、この返しを、頼もしそうには見えるけれど、と受けたうえで、兼家が我が家と思っているらしい所は別にあるようなので、世の中はまったく思いのままにならないものであった、と続ける。
相手の「月」「行く末」をそのまま受けて返している。初句の「敎へける」は、教えてさしあげよう、の意で、問いかけの形をとった相手の歌に、先生めいた口ぶりで応じる構えを示す。二句の「月は西へぞ行く」は、月の行く先は西と決まっている、の意で、「ぞ」が結びを導く。三句の「行くさき」は相手の「行く末」を言い換えたもので、ここからは月ではなく相手自身の将来をさす。四句から結句の「我のみこそはしるべかりけれ」は、私だけが知っているはずのことだ、と言い切る形で、「こそ」の結びが断定を強める。あなたの行く末は私が引き受けているのだから案じるには及ばない、という趣旨になり、「しるべ」には知るはずだという意に、道案内の意を響かせるとも解される。地の文が戯れのようにと断るとおり、深刻な問いを軽くいなした応じ方であり、その軽さが、続く、我が家と思っているらしい所は別にある、という一文といっそう響き合う。
行くさき:行く先。将来。
しるべ:知るはずであること。道案内の意を響かせるとも解される。
- 作者
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藤原兼家
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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