藤衣流すなみだのかはみづは
きしにもまさるものにぞありける
- 歌の意味
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藤衣を流す、その涙の川水は、岸をも越えるほど、着ていたころにもまさるものであった。
- 鑑賞
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頼りないままにこうして秋も冬も過ごした。同じ屋敷には兄弟が一人と、伯母とおぼしき人が住んでいる。その人を親のように思ってはいるが、それでもなお昔を恋い慕っては泣き明かしている。そのうちに年が改まって康保二年になり、春も夏も過ぎたので、今度は果ての事を営むということで、このたびばかりはあの山寺で行う。当時のことが思い出されて、いっそうしみじみと悲しい。導師が最初に、いちずに秋の山辺を尋ねておいでになるのではなかったのだ、亡き人が目を閉じられたその所で経の心を説かせようとしてのことなのだ、と少し言うのを聞くと、もう何も考えられなくなって、そのあとのことは覚えていない。あるべき事どもが終わって帰る。そのまま喪服を脱ぐというので、鈍色のものども、扇に至るまで祓えなどをするうちに、歌が心に浮かんだ。けれどもひどく泣かれてしまうので、人にも言わずに終わった。忌日などが果てて、いつものように所在ないままに、弾くというのでもなく琴を拭って掻き鳴らしなどしていると、もう忌み慎むこともない時期になっていたのだと、しみじみと、はかなくもと思っていたところへ、あちらから歌が届いた。格別のこともない歌だが、これを思うといっそう泣きまさって、返しを詠んだ。
作者は藤原倫寧の娘。亡くなったのは作者の母で、日記はその名を記さない。同じ屋敷には作者の兄弟が一人と、伯母とおぼしき人が住んでおり、作者はその人を親のように思っている。歌を寄こしたあちらの人が誰であるかは、原文に記されない。
康保二年、母の一周忌の法要を山寺で終えて帰ったのちのことで、場所は作者の住まいである。
法要が終わって帰り、そのまま喪服を脱ぐというので、鈍色の衣類から扇に至るまで祓えをしているうちに、心に浮かんだ歌である。
地の文は、そう思うとひどく泣かれてしまうので、人にも言わずに終わった、と記す。詠み送られることのないまま心のうちにとどまった歌である。
初句の「藤衣」は喪服のことで、粗い藤の繊維で織った衣に由来する名である。二句の「流す」は、祓えのために喪服を水に流すという実際の所作を言い、同時に涙を流す意をも兼ねて、次の「なみだのかは」へ渡す。三句の「かはみづ」で川の姿を立て、四句の「きしにもまさる」へ続ける。「きし」は川の岸であると同時に、着ていたという意の「着し」を掛けた語で、この一語が歌の要にあたる。水量が岸を越えるほどだという景と、喪服を着ていたころよりも涙がまさるという心とが、一語で重なる。結句の「ものにぞありける」は「ぞ」の結びで、気づきの調子を添えて言い切る。喪が明けるという区切りの日にこそ悲しみが極まるという逆説を、祓えの水と涙の水とを重ねることで言いあてており、人に見せないまま終わったという地の文が、この歌の性格をよく示している。
藤衣(ふぢごろも):喪服。
きし:川の「岸」に「着し」を掛ける。
はらへ:穢れを水に流して清める行事。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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