今はとて彈き出づる琴のねを聞けば
うちかへしても猶ぞ悲しき
- 歌の意味
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もう今はと思って弾き出す琴の音を聞くと、掻き返してみても、やはり悲しいことだ。
- 鑑賞
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頼りないままにこうして秋も冬も過ごした。同じ屋敷には兄弟が一人と、伯母とおぼしき人が住んでいる。その人を親のように思ってはいるが、それでもなお昔を恋い慕っては泣き明かしている。そのうちに年が改まって康保二年になり、春も夏も過ぎたので、今度は果ての事を営むということで、このたびばかりはあの山寺で行う。当時のことが思い出されて、いっそうしみじみと悲しい。導師が最初に、いちずに秋の山辺を尋ねておいでになるのではなかったのだ、亡き人が目を閉じられたその所で経の心を説かせようとしてのことなのだ、と少し言うのを聞くと、もう何も考えられなくなって、そのあとのことは覚えていない。あるべき事どもが終わって帰る。そのまま喪服を脱ぐというので、鈍色のものども、扇に至るまで祓えなどをするうちに、歌が心に浮かんだ。けれどもひどく泣かれてしまうので、人にも言わずに終わった。忌日などが果てて、いつものように所在ないままに、弾くというのでもなく琴を拭って掻き鳴らしなどしていると、もう忌み慎むこともない時期になっていたのだと、しみじみと、はかなくもと思っていたところへ、あちらから歌が届いた。格別のこともない歌だが、これを思うといっそう泣きまさって、返しを詠んだ。
作者は藤原倫寧の娘。亡くなったのは作者の母で、日記はその名を記さない。同じ屋敷には作者の兄弟が一人と、伯母とおぼしき人が住んでおり、作者はその人を親のように思っている。歌を寄こしたあちらの人が誰であるかは、原文に記されない。
康保二年、母の忌日が果てたのちのことで、場所は作者の住まいである。
作者が所在ないままに、弾くというのでもなく琴を拭って掻き鳴らしていたところ、その音を聞いた同じ家の人が、あちらから寄こした歌である。
地の文はこれを、格別のこともない歌だが、と評したうえで、これを思うといっそう泣きまさって、と続け、作者の「なき人はおとづれもせでことの緖を斷ちしつき日ぞかへりきにける」へつながる。
初句の「今はとて」は、もう今はよいとして、の意で、喪の期間が明けたことを言う。二句の「彈き出づる」は、琴を弾き始める、の意。三句の「琴のねを聞けば」で、隣から聞こえてくる音そのものを歌の起点に据える。四句の「うちかへしても」の「うちかへす」は、琴の弦を掻き返す意に、繰り返すという意を掛けた語で、この一語が歌の要にあたる。弾き返しても悲しみは晴れず、思い返してもやはり悲しい、という二重の意味になる。結句の「猶ぞ悲しき」は「ぞ」の結びで、素直に悲しさを言い切る。地の文が、格別のこともない歌だ、と断るとおり、技巧も抑えられ、思いつきに近い一首である。それでもなお作者が泣きまさったと記すのは、喪が明けたはずの音を、同じ家の者もまた悲しく聞いていたと分かったからで、歌の巧拙とは別のところで働いた一首といえる。
うちかへす:琴の弦を掻き返す。繰り返す。
ね:琴の音。
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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