我もさぞのどけきとこのうらならで
歸る波路はあやしかりけり
- 歌の意味
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私もそのとおりです。のどかな床の浦ではなくて、帰ってゆかれる波路が気がかりでなりませんでした。
- 鑑賞
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康保三年三月ごろ、兼家がこちらに来ているときに病み出して、どうにも堪えがたく苦しいと思い惑うのを、たいそう気の毒に見る。兼家が言うには、ここにいたいのは山々だが、何をするにも不都合だろうから向こうへ行こう、薄情だとお思いくださるな、急に、いくらも保つまいという気がするのがどうにもつらい、しみじみと思ってくれる人があったと思い出してくださる方がないのが、たいそう悲しい、と言って泣く。それを見ると何も考えられなくなり、こちらもひどく泣かれるので、泣かないでください、苦しさが増します、この世でいちばんつらいのは、思いもよらぬときにこうした別れをすることです、あなたはどうなさるおつもりか、独りでは世におられますまい、などと、伏したまま切々と語っては泣く。あれこれ人々を呼び寄せては言い置く。やがて車を少し引き出して牛をかける間に見通すと、さっきの所に戻ってこちらを見おこし、じっと見つめているのを見ながら車を引き出すので、心ならずも振り返ってばかりいるのだった。さて、昼ごろ文が来た。あれこれ書いたのちに歌があり、作者は返事をした。なお苦しそうであったが、我慢して二三日のうちに姿を見せた。次第にいつものようになっていくと、いつもの程度に通ってくる。
兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。作者は藤原倫寧の娘。
康保三年三月ごろのことで、場所は作者の住まいである。
なまじ生きて離れているほうがつらいと訴えてきた兼家の歌に対する返しで、なおたいそう苦しそうにしておられたので、今も気がかりでなりません、なまじのことに、という言葉を添えて送った。
兼家はなお苦しそうであったが、我慢して二三日のうちに姿を見せる。次第に本復して、いつもの程度に通うようになる。
初句の「我もさぞ」は、私もそのとおりです、の意で、相手の言い分をそのまま引き受けるところから始める。二句の「のどけきとこのうら」の「とこのうら」は備前国の歌枕である床の浦で、「床」すなわち寝床を掛けている。のどかな床の浦、すなわち安らかに臥せる床ではなくて、という言い方になり、病身のまま帰らねばならなかった事情をさす。三句の「ならで」でそれを否定し、四句の「歸る波路」へ渡す。波路は船の行く道であるが、ここでは車で帰っていった道のことで、床の浦を出したことでその道までが海の景に変わっている。結句の「あやしかりけり」は、不審だ、気がかりだ、の意で、無事に着けるかと案じていたことをいう。相手が掛詞を用いずに述べたのに対し、こちらは歌枕を持ち出して景を作り、見送ったあの道のりへ話を返している。地の文の、心ならずも振り返ってばかりいた、という一文と重ねて読むと、その波路が実際に目にした光景であったことが分かる。
とこのうら:備前国の歌枕、床の浦。「床」を掛ける。
波路(なみぢ):波の上を行く道。船路。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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