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かみやせくしもにやみくづ積るらむ
思ふこゝろの行かぬみたらし

歌の意味
上流でせき止めているのだろうか、下流に水屑が積もっているのだろうか。思う心の行き着かない、みたらし川よ。
鑑賞
 九月になって、世の中も趣のあるころだろう、どこかへ参詣したい、こんなに頼りない身の上のことも申し上げよう、などと思い定めて、たいそう人目を忍んだ所へ出かけた。一挟みの幣に、こう書きつけたのだった。まず下の御社に一首、中の御社に一首、最後の御社に一首。また同じ月の末に、ある所へ同じようにして詣でた。こちらは二挟みずつにして、下の御社に二首、上の御社に二首。こうした歌を、神が聞いておられない所で申し上げていたのだった。
 作者は藤原倫寧の娘。忍んで詣でた所は、歌に稲荷山の名が詠まれることから伏見の稲荷と解される。同じ月末に詣でた、ある所は、御手洗や杜を詠むことから賀茂の社と解される。原文はいずれも社の名を記さず、下

果て、また下
上とだけ言う。
 康保三年九月末のことで、場所は同じように忍んで詣でた、ある所の下の御社である。
 稲荷に詣でたのと同じ月の末に、また別の所へ同じようにして詣で、こちらは二挟みずつの幣にして、まず下の御社へ書きつけた歌である。
 同じ下の御社にもう一首「榊葉のときはかきはにゆふしでやかたくるしなるめな見せそ神」を書きつけ、続いて上の御社へ二首を書きつけることになる。

 初句の「かみやせく」の「かみ」は川の上流であると同時に神をも意味し、この一語が歌の要にあたる。上流でせき止めているのか、それとも神がお止めになっているのか、という二重の問いになる。二句の「しもにや」は下流でか、の意で、下の御社に捧げる歌として場所そのものが言葉になっている。「みくづ」は水屑、すなわち水中に溜まるごみのことで、流れをふさぐものをいう。「積るらむ」は推量で、初句の「や」と合わせて、二つの原因を並べて問う形を作る。四句の「思ふこゝろの行かぬ」は、こちらの願う心が行き着かない、の意で、川が流れ通らないことと、祈りが届かないこととが重なる。結句の「みたらし」は社前を流れる御手洗川で、体言止めが問いかけを宙に浮かせたまま終わらせる。願いがかなわない理由を、神のせいか、それとも自分の側に積もったものがあるのかと問う形になっており、責めを一方に決めていないところに、この歌の落ち着きがある。

みたらし:社の前を流れる、手を清めるための川。御手洗川。
みくづ:水屑。水中に溜まるごみ。
かみ:川の「上」に「神」を掛ける。
作者
藤原道綱母
出典
蜻蛉日記
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