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思ふほどしらではかひやあらざらむ
かへすがへすもかずをこそ見め

歌の意味
思ってくださる程度を知らなくては、かいがないでしょう。返す返すも、その数を見たいものです。
鑑賞
 秋が終わって冬は、朔日だ晦日だといって、身分の低い者も高い者も騒ぐものなので、独り寝のようにして過ごした。三月の末ごろ、かりのこがあるのを見て、これを十ずつ重ねる技をどうにかしてやってみようと、手すさびに生絹の糸を長く結んで、一つ結んではまた結び結びして引き立てたところ、たいそうよく重なった。そのままにしておくよりはと思って、九条殿の女御殿の御方へ差し上げる。卯の花に付けた。特別なこともなく、ただ例のお手紙で、その端に、この十重なったのはこうしていても差し支えございませんでした、とだけ申し上げた。御返事があり、こちらもまた返した。
 作者は藤原倫寧の娘。九条殿の女御殿の御方と呼ばれるのは、九条殿すなわち藤原師輔の娘で、兼家の姉妹にあたる人。藤原登子とされるが、原文に人名の明示はない。かりのこは雁の卵で、細い糸で結び重ねる遊びが行われた。
 康保四年三月の末ごろのことで、場所は作者の住まいである。
 数知れず思う心に比べれば十重ねたのも大したものではない、と返してこられた御返事に対する、作者の返しである。
 この贈答をもってこの段は閉じる。以後、五月に帝が崩御され、「世の中をはかなきものとみさゝぎの埋るゝ山になげくらむやぞ」の場面へと移っていく。

 相手の「思ふこゝろ」「かず」をそのまま受けて返している。初句から二句の「思ふほどしらでは」は、思ってくださるその程度を知らなくては、の意で、数え切れないと言われたのをとらえ、それでは分からないと切り返す。「かひやあらざらむ」の「や」は疑問で、かいがないでしょう、と言いさす形になる。四句の「かへすがへすも」は、繰り返し、の意であるが、贈り物を返す、返歌を返すという場に置かれているため、返すという語そのものが場面と響き合う。結句の「かずをこそ見め」は「こそ」の結びで、その数をぜひ見たい、と言い切る。数えられないほどと言われた思いを、それでは数えて見せてくださいと求める形で、相手が持ち出した比較の構えをそのまま逆手に取っている。かりのこを十重ねるという遊びから始まった贈答が、最後まで数という一語の上で交わされており、贈答としての運びがよく揃っている。

かひ:効き目。かいがあること。
かへすがへす:繰り返し。ここでは物を返す、返歌をする意も響く。
作者
藤原道綱母
出典
蜻蛉日記
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