人心宇治のあじろにたまさかに
よるひるだにもたづねけるかな
- 歌の意味
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人の心は憂しという、その宇治の網代に、まれにも、夜となく昼となく、よくぞ訪ねてくださったことよ。
- 鑑賞
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こうして、もうしばらくいたいと思うけれど、夜が明けると人々が騒ぎ立てて出発させる。帰り道は目立たないようにと思うのだが、あちこちで饗応をしては引きとめるので、落ち着かないまま過ぎてゆく。三日目には京に着くはずであったが、たいそう日が暮れたというので、山城の国の久世の御牧という所に泊まった。ひどく気詰まりだけれども、夜になってしまったので、ただ明けるのを待つ。まだ暗いうちから出立すると、黒い衣の者が馬に乗って追いかけてくる。少し遠くから下りて、ひざまずいた。見れば随身であった。何事かとあれこれ尋ねると、昨日の酉の時ごろに宇治の院にお着きになって、お帰りになったかどうか参れ、との仰せがありましたので、と言う。先を行く男どもが、舟を流せなどと指図する。宇治川に近づくころ、霧が来し方も見えないほど立ちこめて、たいそう心もとない。車を降ろしてあれこれ手間取っているうちに人声が多くなり、御車を降ろして立てよ、と騒ぐ。霧の下からいつもの網代も見えている。言いようもなく趣深い。ご本人は向こう岸においでなのだろう。そこでまずこう書いて渡した。舟が岸に寄せるころ、返しがあった。見ているうちに車を舟に据えて、騒ぎながら漕ぎ渡る。
作者は藤原倫寧の娘。宇治の院に着いて待っていたのは兼家で、藤原師輔の三男。のちに摂政関白太政大臣に至る。随身は貴人の警護に付き従う者をいう。
安和元年九月、初瀬詣での帰路のことで、場所は宇治川のほとりである。
霧の立ちこめる川岸で、向こう岸に兼家がいるらしいと察して、まずこう書いて渡した歌である。
舟が岸に寄せるころ、「かへる日を心のうちに數へつゝ誰によりてかあじろをもとふ」という返しがあった。見ているうちに車を舟に据え、騒ぎながら漕ぎ渡っていく。
初句の「人心」は人の心のことで、二句の「宇治」を導く。宇治は憂しを掛けて用いられる地名であり、人の心は憂いものだ、というつぶやきが地名の音のうちに畳み込まれている。この一語がこの歌の要にあたる。二句の「あじろ」は氷魚を捕るために川に仕掛けた網代で、宇治の名物であるとともに、目の前に霧の下から現れている実景でもある。三句の「たまさかに」は、まれに、思いがけず、の意で、日ごろの訪れの少なさを含ませる。四句の「よるひるだにも」の「よる」は夜であると同時に、網代に魚が寄る意をも掛けており、網代の縁語として働く。夜も昼もという言い方で、遠路を待っていてくれたことを言う。結句の「たづねけるかな」は詠嘆で、よくぞ訪ねてくださった、と感嘆する形になる。宇治に憂しを掛けて恨みを匂わせながら、結びでは素直に喜んでみせており、この日記の贈答としては珍しく明るい調子を保っている。霧の下に網代が見えるという景そのものが歌の素材になっている点も、旅先の一首らしい。
宇治:山城国の地名。「憂し」を掛ける。
あじろ:氷魚を捕るために川に仕掛けた網代。宇治の名物とされる。
よる:「夜」に、魚が「寄る」意を掛ける。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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