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ましみづのまして程ふる物ならば
おなじぬれまにもおりも立ちなむ

歌の意味
増し水ではないが、まして日が経つものであるなら、同じ濡れるついでに、思い切って下り立ちもしよう。
鑑賞
 三月の末に小弓を行おうと定めるうちに、世の中に事が起こって紛れてしまい、西の宮の左大臣が流されるという騒ぎがあった。その五月雨の二十日あまりのころ、物忌みもあり、長い精進も始めた兼家が山寺に籠っている。雨がひどく降るなか眺めやって、たいそう心細い所です、などと言ってきたのであろう。その返事に歌を詠み送ったところ、返しがあった。そう言ううちに閏五月にもなった。
 作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。長き精進とは、長い期間にわたって身を慎み仏道に励むことをいう。この年は閏五月が置かれ、五月が二つある年であった。
 安和二年五月二十日過ぎのことで、場所は兼家の籠る山寺である。
 五月雨が降るころ、たまさかの人もいっそう日を経てしまう、と詠み送ってきた作者の歌に対する返しである。
 この贈答ののち閏五月になり、作者は月末から病み臥して、遺書をしたためる場面へと移っていく。

 相手の「ふる」をそのまま受けて返している。初句の「ましみづ」は雨で嵩の増した水のことで、五月雨の景をそのまま持ち出しながら、二句の「まして」を導く序の働きをする。この掛かりがこの歌の要にあたる。二句から三句の「まして程ふる物ならば」は、いっそう日が経つものであるならば、の意で、相手が用いた、降ると経るとを兼ねた語をそのまま受け継いでいる。四句の「おなじぬれまにも」は、どうせ濡れるのなら同じことだから、の意。結句の「おりも立ちなむ」の「おり立つ」は水に下り立つ意であるとともに、思い切って事にあたる意をも持ち、雨の中を押して出ようという決意を、水の景のうちで言いあらわす形になる。籠っている身であるから実際に動けるわけではないが、日が経つのが耐えがたければ濡れるのも構わず出よう、と応じることで、心細いという先の訴えと、絶え間を責める相手の言い分との双方に応えている。水にかかわる語だけで組み立てられており、山寺の長雨という場をよく生かした返しである。

ましみづ:雨で嵩の増した水。増し水。
おり立つ:水に下り立つ。思い切って事にあたる意にも用いる。
ぬれま:濡れる間。濡れるついで。
作者
藤原兼家
出典
蜻蛉日記
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