露しげき道とかいとゞしでの山
かつがつぬるゝそでいかにせむ
- 歌の意味
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露の深い道だとかいう、その死出の山。行かないうちから早くも濡れてゆく袖を、どうしよう。
- 鑑賞
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そう言ううちに閏五月にもなった。晦日から、どうしたことだろうか、どこがどうということもなくたいそう苦しいけれど、どうにでもなれとばかり思う。命を惜しんでいると人に見られないでいたいとばかり念じるけれど、見聞きする人が黙ってもいず、芥子焼きのような加持をするが、やはりしるしもないまま日が経つ。兼家はこのように身を清めているころだといって、いつものようにも通わない。新しい所を造るというので、その通い路のついでに、立ったまま何か言い、いかがですかなどと尋ねる。心が弱く思われて胸をふさがれ、悲しく思われる夕暮れに、例の所から帰るといって蓮の実を一本、人に持たせて入れてよこした。暗くなったので参らないのです、これはあちらのものです、ご覧ください、と言う。返事にはただ、生きて生きていないと申し上げよ、と言わせて思い臥していると、趣深いという所を、命のほども人の心も知らないので、いつかお見せしようとあったのも、そうならずに終わってしまうのだろうと思うのも哀れである。そして歌が浮かんだ。そう思うほどに日を経ても同じようなので心細い。よくないならばとばかり思う身であるから、露ほども命が惜しいのではないが、ただこの一人ある子をどうしようとばかり思い続けると涙をこらえきれない。やはり不思議に、いつもの心地とは違って思われる様子も見えるにちがいないので、身分のある僧などを呼び寄せて試みるが、いっこうによくならない。こうしているうちに死にもしよう、急なときには思うことも言えないものだ、このまま終わってしまってはたいそう残念だ、生きているうちにこそ、思うところに違っても語り合っておくべきだと思って、脇息に寄りかかって遺書を書いた。そこには道綱の身の上のことをくれぐれもと書き、歌を二首書き添えた。書き終えると端に一言を添え、封をして、上に、忌みなどが果てるであろう日にご覧に入れよ、と書いて、傍らの唐櫃にいざり寄って入れた。見る人は不審に思うだろうけれど、長く患うようならこれさえもしないでいることが胸の痛むことだろうから、というのである。
作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。遺書に託された幼き人は作者の子の藤原道綱。芥子焼きは芥子を火に投じて行う密教の加持である。
安和二年閏五月の末から六月にかけてのことで、場所は作者の住まいである。
遺書の末尾に、折もあろうに対面して申し上げられるようなときでもなかったので、と書き添えて置かれた歌である。
これを書き終えると、端に、跡を弔うことなども塵ほども残らぬようにとくれぐれも申し置いた、とお伝えください、と書き添え、封をして、上に、忌みなどが果てる日にご覧に入れよ、と記し、傍らの唐櫃にいざり寄って入れた。
初句から二句の「露しげき道とか」は、露の深い道だとかいう、の意で、伝え聞きの形をとる。露に濡れる道という言い方は旅路の常套であるが、ここでは次の死出の山への道をさす。三句の「いとゞしでの山」の死出の山は死者が越えるという山で、その道がいっそう露深いのだと重ねる。四句の「かつがつぬるゝ」は、ともかくも、また早くも、の意を含み、まだその道に踏み入ってもいないうちから袖が濡れはじめることをいう。結句の「そでいかにせむ」は、袖をどうしよう、と途方に暮れて結ぶ形で、下に続くはずの言葉を置かない。死出の山の露と、今この場で流れる涙とが同じ濡れとして一つに重なり、これから行く道の話が、書いている今の姿にそのまま返ってくる。遺書を閉じる位置に置かれた一首であり、頼みごとを述べ終えたあとに、行く先の心細さだけを短く言い残す形になっている。
しでの山:死者が越えるという山。死出の山。
露(つゆ):草木に置く露。涙のたとえ。
唐櫃(からうつ):脚のついた大きな箱。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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