宿見ればよもぎの門もさしながら
あるべきものと思ひけむやぞ
- 歌の意味
-
お住まいを見れば、蓬の茂る門も閉ざしたまま。こうしてあるはずのものと、かつて思っておられただろうか。
- 鑑賞
-
こうしてなお同じようであるので、祭りや祓えなどということも大げさにはせず、少しずつなどしているうちに、六月の末ごろ、いささか物の分かる心地などがするころに聞くと、帥殿の北の方が尼におなりになったという。それにつけてもたいそう気の毒にお思い申し上げる。西の宮へ流されなさって三日という日に、すっかり焼けてしまったので、北の方はご自分の御殿である桃園に移って、たいそう物思いに沈んでおられると聞くにつけても、ひどく悲しい。自分の心地もさわやかにならないので、つくづくと臥して思い集めることが、我ながら関わりのないことまで多いのを書き出したところ、たいそう見苦しいけれど長歌ができた。またその奥に一首を書き添えた。書いて置いておいたのを前にいる人が見つけて、たいそう哀れなことだ、これをあの北の方にお見せ申し上げたい、などと言い出す。なるほど、こちらからと言ったのでは頑なで見苦しかろうと言って、かんや紙に書かせ、立文にして削木につけた。どこからかと言われたら多武の峰からと言え、と教えるのは、あの御はらからの入道の君のもとからと言わせようとしてのことであった。人が受け取って入ったころに、使いは帰ってしまった。あちらでどのようにお思いになったかは知らない。
作者は藤原倫寧の娘。帥殿は安和の変で流された西の宮の左大臣で、原文は人名を記さない。その北の方は藤原師輔の娘にあたる人で、これも原文に名はない。多武の峰の入道の君は北の方の兄弟にあたる法師で、やはり名は記されない。桃園は北の方ご自身の御殿である。
安和二年六月の末ごろのことで、場所は作者の住まいと、桃園にある北の方の御殿である。
臥したまま思い集めたことを書き出して長歌を作り、さらにその奥に書き添えた一首である。
この二首を書いて置いておいたのを前にいる人が見つけ、北の方にお見せしたいと言い出した。こちらからと知れては見苦しかろうというので、かんや紙に書き写して立文にし、削木につけ、どこからかと問われたら多武の峰から、すなわち北の方の兄弟である入道の君のもとからと言え、と教えて届けさせた。使いは人が受け取るころには帰ってしまい、あちらでどう思われたかは知らない、と地の文は結ぶ。
初句の「宿見れば」は、そのお住まいを見ると、の意で、焼け出されて移られた桃園の御殿をさす。二句の「よもぎの門」は蓬の生い茂った門で、人の出入りが絶えて荒れた住まいをいう決まった言い方である。三句の「さしながら」は、閉ざしたまま、の意であるが、蓬が門を差し塞ぐさまをも含み、閉ざす主体が人であるのか草であるのか定めないまま置かれている。四句から結句の「あるべきものと思ひけむやぞ」は、こうしてあるはずのものと思っておられただろうか、の意で、「や」が反語に近く働き、思いもよらなかっただろう、という含みになる。栄えていた御殿が一年のうちに蓬の門となったことを、当人の予想と引き比べる形である。長歌が二人の境涯を長く述べたのに対し、この一首は荒れた門という一点だけを示して終わる。名を伏せ、兄弟からの便りを装って届けたという事情を思えば、直接には言えない同情を、荒廃の景だけに託した歌ということになる。
よもぎの門(かど):蓬の生い茂った門。訪う人の絶えた荒れた住まいをいう。
さす:門を閉ざす。
立文(たてぶみ):正式な形に折り包んだ手紙。
削木(けづりき):手紙を結びつける細く削った木。
- 作者
-
藤原道綱母
- 出典
-
蜻蛉日記
- その他の歌
-