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あまた年越ゆる山べに家居して
つなひくこまもおもなれにけり

歌の意味
幾年も、駒の越えてゆく山のあたりに住みついていると、綱を引かれてゆく駒までも顔なじみになったことだ。
鑑賞
 八月になった。そのころ小一条の左大臣の御賀といって世間が騒ぎ立てる。左衛門の督が御屏風のことをなさるというので、歌など詠むはずもない伝手を計らって責められることがある。絵の場面の所々を書き出したものを与えられるのである。たいそうしらじらしいことだといって何度も返すけれど、しきりに無理を言われるので、宵のうち、月を見る合間などに、一つ二つと思案して作った。以下、絵の場面ごとに詠んだ歌が続く。こうしてつまらないことに、しかも多くの数まで強いて作らされ、これらのうち、いざり火と群千鳥との歌が採られたと聞く。
 作者は藤原倫寧の娘。小一条の左大臣も、御賀を営む左衛門の督も、原文は官職と邸の名で示すのみで人名を記さない。底本の傍注は前者を藤原師尹、後者を藤原済時とする。屏風歌は屏風に描かれた絵の場面に添えて記すための歌で、絵の内容をあらかじめ書き出したものを与えられて詠む。
 安和二年八月のことで、場所は作者の住まいである。
 あはだ山から駒を引いてくるのを、そのあたりの人の家に引き入れて見物している場面を描いた絵に添えるための歌である。
 このあとも、泉に映る月を女たちが見る場面、松原に鶴が群れ遊ぶ場面などの絵に応じて歌が続く。

 初句の「あまた年」は幾年も、の意で、二句の「越ゆる山べ」へ続ける。ここでいう越ゆるの主語は駒で、毎年八月に諸国の牧から都へ引かれてくる駒が越えてゆく山のことをさす。三句の「家居して」は、家を構えて住んで、の意で、絵に描かれたその家の主の側から詠む形をとる。四句の「つなひくこま」は綱に引かれて行く駒のことで、駒引きの行事の姿をそのまま言う。結句の「おもなれにけり」の「おもなる」は面馴る、すなわち見慣れて親しくなることで、年ごとに同じ道を通る駒までが顔なじみになった、という。長年その地に住んできたことを、馬に顔を覚えられるという思いがけない側から言いあらわしており、住み続けた年月の長さがそのまま賀の心につながる。行事の名と場所の名とを与えられただけの絵から、家の主の年功へ話を運ぶ運びに工夫がある。

駒引き(こまひき):毎年八月、諸国の牧から献上の馬を都へ引き入れる行事。
おもなる:見慣れて親しくなる。面馴る。
作者
藤原道綱母
出典
蜻蛉日記
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