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雲ゐよりうちこちの聲を聞くなべに
さしくむばかり見ゆるつきかげ

歌の意味
雲居のかなたから、あちこちの笛の声を聞くにつれて、汲み取れるほどに見える月の光であることよ。
鑑賞
 八月になった。そのころ小一条の左大臣の御賀といって世間が騒ぎ立てる。左衛門の督が御屏風のことをなさるというので、歌など詠むはずもない伝手を計らって責められることがある。絵の場面の所々を書き出したものを与えられるのである。たいそうしらじらしいことだといって何度も返すけれど、しきりに無理を言われるので、宵のうち、月を見る合間などに、一つ二つと思案して作った。以下、絵の場面ごとに詠んだ歌が続く。こうしてつまらないことに、しかも多くの数まで強いて作らされ、これらのうち、いざり火と群千鳥との歌が採られたと聞く。
 作者は藤原倫寧の娘。小一条の左大臣も、御賀を営む左衛門の督も、原文は官職と邸の名で示すのみで人名を記さない。底本の傍注は前者を藤原師尹、後者を藤原済時とする。屏風歌は屏風に描かれた絵の場面に添えて記すための歌で、絵の内容をあらかじめ書き出したものを与えられて詠む。
 安和二年八月のことで、場所は作者の住まいである。
 人の家の前近くの泉の水に八月十五夜の月の影が映っているのを女たちが見ているところへ、垣の外の大路を笛を吹いて行く人がある、という場面を描いた絵に添えるための歌である。
 このあとも、松原に鶴が群れ遊ぶ場面、網代のある場面などの絵に応じて歌が続く。

 初句の「雲ゐより」は、空のかなたから、の意で、笛の音が遠く聞こえてくることをいう。二句の「うちこちの聲」は、あちらこちらから聞こえる声、すなわち大路を行く人の笛の音をさす。三句の「聞くなべに」は、聞くにつれて、の意で、音を聞くという行為と、次の句の見るという行為とをつなぐ。四句の「さしくむばかり」の「さしくむ」は手を差し入れて汲むことで、泉の面に映った月であるから、掬い取れそうに見えるという言い方になる。絵に描かれた泉と月とがそのまま歌の素材である。結句の「見ゆるつきかげ」は体言止めで、月の光を残したまま言い終える。耳に聞こえる笛と、目に見える水面の月とを一首のうちに並べ、聞くほどに月がいっそう近く見えるという形で二つを結んでおり、絵に描かれた要素をすべて拾いながら、それらを一つの感覚の動きにまとめている。

雲ゐ:雲のあるところ。空。はるかに遠い所。
さしくむ:手を差し入れて汲む。
作者
藤原道綱母
出典
蜻蛉日記
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