なみかげの見やりに立てる小松ばら
こゝろをよすることぞあるべし
- 歌の意味
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波影の見やられるあたりに立っている小松原は、心を寄せることがあるのだろう。
- 鑑賞
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八月になった。そのころ小一条の左大臣の御賀といって世間が騒ぎ立てる。左衛門の督が御屏風のことをなさるというので、歌など詠むはずもない伝手を計らって責められることがある。絵の場面の所々を書き出したものを与えられるのである。たいそうしらじらしいことだといって何度も返すけれど、しきりに無理を言われるので、宵のうち、月を見る合間などに、一つ二つと思案して作った。以下、絵の場面ごとに詠んだ歌が続く。こうしてつまらないことに、しかも多くの数まで強いて作らされ、これらのうち、いざり火と群千鳥との歌が採られたと聞く。
作者は藤原倫寧の娘。小一条の左大臣も、御賀を営む左衛門の督も、原文は官職と邸の名で示すのみで人名を記さない。底本の傍注は前者を藤原師尹、後者を藤原済時とする。屏風歌は屏風に描かれた絵の場面に添えて記すための歌で、絵の内容をあらかじめ書き出したものを与えられて詠む。
安和二年八月のことで、場所は作者の住まいである。
田舎人の家の前の浜辺に松原があり、鶴が群れて遊んでいる、という場面を描いた絵に添えるための歌で、この場面には歌が二つあるべしと指定されていた。その一首目である。
二首目が「松のかげ眞砂のなかと尋ぬるはなにのあかぬぞたづのむらとり」で、地の文は、これらのうちいざり火の歌と群千鳥の歌とが採られたと聞く、と記す。
初句の「なみかげ」は波の影、すなわち波の見える所のことで、絵の浜辺をさす。二句の「見やりに立てる」は、見やられるあたりに立っている、の意で、遠景として描かれた松原を言う。三句の「小松ばら」は若い松の生えた原で、松は長寿の木であるから、賀の絵にはふさわしい。四句の「こゝろをよする」の「よす」は、波が寄せる意と、心を寄せる意との掛詞で、この一語が歌の要にあたる。波が寄せる浜に立つ松であるから、その松にも寄せる心があるのだろう、という理屈になる。結句の「ことぞあるべし」は「ぞ」の結びで、そういうことがあるのだろう、と推量で言い切る。同じ場面にもう一首を求められているため、この一首では松のほうに寄り、鶴には触れずにおく配分になっている。波と松という二つの物のあいだに心の働きを見て取る形で、絵にない要素を持ち込まずに歌を立てている。
小松ばら:若い松の生えた原。
よす:波が寄せる。心を寄せる。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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