いなづまのひかりだにみぬやがくれは
軒ばのなへもものおもふらし
- 歌の意味
-
稲妻の光さえ見ない家隠れでは、軒端の苗も物思いをしているらしい。
- 鑑賞
-
先ごろ、所在ないままに草などを手入れさせなどしたときに、たくさんの若苗が生えていたのを取り集めさせて、家の軒に当てて植えさせた。それがたいそう趣深く実をはらんで、水を引かせなどさせたけれど、色づいた葉が滞ったまま立っているのを見ると、たいそう悲しくて、この歌が浮かんだ。
作者は藤原倫寧の娘。稲は稲妻の光に感じて実を結ぶとされ、稲妻の名もそこから出たといわれる。
天禄元年の夏の末ごろのことで、場所は作者の住まいである。
先ごろ、所在ないままに草などを手入れさせたときに、たくさんの若苗が生えていたのを取り集めさせ、家の軒に当てて植えさせた。それがたいそう趣深く実をはらんで、水を引かせなどさせたけれど、色づいた葉が滞ったまま立っているのを見ると、たいそう悲しくて浮かんだ歌である。
誰かに贈られたものではなく、心のうちにとどまった。このあと作者は、絶えて久しい兼家との仲をなお思いながら日を送る。
初句の「いなづま」は稲妻であるが、稲は稲妻の光に感じて実を結ぶとされ、稲の夫の意とも解される語である。この言い伝えを踏まえることで、光が届かないから実らない、という理屈が成り立ち、同時に、夫が来ないから実りがない、という含みが生じる。この一語が歌の要にあたる。二句の「ひかりだにみぬ」は、光さえも見ない、の意で、「だに」が最小限を示す。三句の「やがくれ」は家の陰に隠れていることで、軒端に植えたために日も光も届かない場所であることをいうと同時に、人目につかず訪れる者もない我が身の住まいをさす。四句の「軒ばのなへ」は軒端の苗のことで、実際に植えさせた稲をそのまま指す。結句の「ものおもふらし」は推量で、物思いをしているらしい、と結び、苗の姿に自分を重ねる。所在なさから軒端に稲を植えたという振る舞いそのものが、すでに待つ身の所業であり、その稲が実らないさまを見て詠むことで、絶え間の長さが植物の育ちという目に見える形になっている。
いなづま:稲妻。稲は稲妻の光に感じて実を結ぶとされ、「稲の夫」の意にも解される。
やがくれ:家の陰に隠れていること。
なへ:苗。
- 作者
-
藤原道綱母
- 出典
-
蜻蛉日記
- その他の歌
-