あらそへば思ひにわぶるあまくもに
まづそる鷹ぞかなしかりける
- 歌の意味
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言い争えば、思いに堪えかねる、その天雲に、まっさきに逸れてゆく鷹こそ悲しいことだ。
- 鑑賞
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このごろの絶え間はいっそう長く、作者は思いつめて、なおどうにかして自分の心から出家もできたらと思うほかのこともない。ただ一人ある子を思うと悲しく、人並みにしてうしろやすい女などに預けてこそ心安かろうと思っていたが、どんな心地でさすらうことになるだろうと思うと、やはり死にきれない。形を変えて世を思い離れるかどうか試してみようかと、幼い人に語りかけると、まだ深くも分からない年ながら、ひどくしゃくり上げて泣き、そうおなりになるなら自分も法師になってこそおりましょう、何のために世に交じろうかと言って、よよと泣く。作者もこらえきれないが、あまりのことに戯れに言いなそうとして、では鷹はどうなさるおつもりか、と言うと、幼い人はそっと立って走り、据えてあった鷹を切り放してしまった。見る人も涙をこらえきれない。作者はまして日を暮らしがたい心地で、歌が浮かんだ。日が暮れるころには文が見えたが、まったくの空言であろうと思って、ただ今心地が悪くて、と言ってやった。
作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。幼き人は作者の子の藤原道綱。鷹は据えて飼い、狩に用いる鳥で、道綱が手元に置いていたものである。
天禄元年の秋のことで、場所は作者の住まいである。
出家しようかと語りかけた作者に、幼い人が、そうおなりになるなら自分も法師になるとよよと泣いた。あまりのことに戯れに言いなそうとして、では鷹はどうなさるおつもりか、と言うと、幼い人はそっと立って走り、据えてあった鷹を切り放してしまった。見る人も涙をこらえきれず、作者はまして日を暮らしがたい心地で浮かんだ歌である。
日が暮れるころには兼家から文が見えたが、まったくの空言であろうと思って、ただ今は心地が悪くて、とだけ言ってやった。
初句の「あらそへば」は、言い争えば、の意で、出家をめぐって母子が言い合った場をさす。二句の「思ひにわぶる」は、思いに堪えかねる、の意。三句の「あまくも」は天雲であるとともに尼を掛けた語で、上巻の「おくやまの思ひやりだに悲しきに又あま雲のかゝるなになり」でも同じ掛かりが用いられた。鷹が放たれて飛び去る先の空が、そのまま出家の道をあらわす。四句の「まづそる」の「そる」は、鳥が逸れて飛び去る意と、髪を剃る意との掛詞で、この一語が歌の要にあたる。まっさきに剃るのは、母でも子でもなく鷹だった、という言い方になり、放たれた鳥が二人に先立って世を離れてしまったことになる。結句の「かなしかりける」は「ぞ」の結びで、悲しさを言い切る。子が泣きながら鷹を放ったという場の一部始終が、掛詞一つに畳み込まれており、この日記のうちでもよく知られた一首である。
そる:鳥が逸れて飛び去る。「剃る」を掛け、出家の意を響かせる。
あまくも:「天雲」に「尼」を掛ける。
鷹(たか):据えて飼い、狩に用いる鳥。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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