思ひせく胸のひむらはつれなくて
なみだをわかす物にざりける
- 歌の意味
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思いをせき止める胸の火むらは、そしらぬ顔をしていて、涙を沸かすものであったのだ。
- 鑑賞
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十二月の一日になった。七日ごろの昼に顔をのぞかせた。今はもうまばゆい心地もするようになっていたので几帳を引き寄せ、不快そうな様子であるのを見て、いや日が暮れてしまった、内裏からお召しがあったので、と言って立ったまま出て行き、それきり音沙汰もなく十七八日になった。今日の昼ごろから雨がひどく降りしきり、霰が所在なく降る。まして、もしやと思うべきことも絶えてしまった。昔を思えば我が心からでもあるまい、心の本性であったのだろう、雨風にも障らないものと慣らされていたのに、今日思い出せば、昔も心のゆるむようではなかったのだから、我が心が大それていたのだ、しみじみと、そうでないものと見たのに、そこまで思いかけられぬとは、と眺め暮らす。雨脚は同じようで、灯をともすころにもなった。南面にこのごろ来る人がある。足音がするのでそうなのだろう。ああ趣深く来たものだ、と、湧きたぎる心を傍に置いて言うと、長年見知っている人が向かい合って、ああ、これにまさる雨風にも昔はあの方はお障りにならなかったものを、と言う。それにつけてこぼれる涙が熱くかかるので、歌が浮かんだ。繰り返し口をついて出るうちに、寝る所にも入らないで夜を明かしてしまった。その月も三十日ほどの程で年は越えてしまった。
作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。年ごろ見知りたる人は長く仕えている女房で、原文に人名の明示はない。
天禄元年十二月十七八日ごろの夜のことで、場所は作者の住まいである。
雨がひどく降りしきる日暮れ、南面に来る人の足音を聞いて、ああ趣深く来たものだと湧きたぎる心を傍に置いて言うと、長年見知っている女房が向かい合って、これにまさる雨風にも昔はあの方はお障りにならなかったものを、と言った。それにつけてこぼれる涙が熱くかかるので浮かんだ歌である。
繰り返し口をついて出るうちに、寝る所にも入らないで夜を明かしてしまった。その月も三十日ほどの程で年は越えた。
初句の「思ひせく」の「思ひ」は、その「ひ」に火が掛かる古くからの用法によっており、思いをせき止めることが、そのまま火をせき止めることになる。この一語が歌の全体を支える。二句の「胸のひむら」は胸のうちの火のかたまりのことで、外へ出さずに抑えている情念を言う。三句の「つれなくて」は、そしらぬ顔をして、の意で、表には何も見せないでいることをさす。四句の「なみだをわかす」は、涙を沸かす、の意で、こぼれた涙が熱かったという事実から、その熱の出所を胸の火に求めた言い方になる。結句の「物にざりける」は、そういうものであったのだ、と気づきの調子で結ぶ。涙が熱いという身体の感覚を出発点にして、抑えた思いが火となって涙を沸かすという理屈を立てており、悲しみの表現としては珍しく生理に即している。地の文が、繰り返し口をついて出るうちに寝所にも入らず夜を明かした、と記すとおり、贈るための歌ではなく、繰り返し呟かれた言葉である。なお底本には乱れがあり、結句の読みは定まらない。
思ひ:「ひ」に「火」を掛ける。
ひむら:火のかたまり。燃えさかる炎。
わかす:沸かす。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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