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なびくかな思はぬかたに吳竹の
うき世のすゑはかくこそありけれ

歌の意味
なびくことよ、思いもよらぬ方へ。呉竹の、このつらい世の末は、こうであったのだ。
鑑賞
 これからそのまま長精進をして、山寺に籠ってしまい、それでもよいようなら、どうにかしてやはり、世の人が絶えやすいという、背く方にでもなってしまおうかと思い立つ。けれども人々が、精進は秋ごろからするのがたいそう結構なことだそうだ、と言うので、避けがたいと思うべきことがある。そうした事情もあるので、これは過ごすべきだと思って、翌月を待つ。ともあれ、万事この世のことはつまらなく思うのだが、去年の春、呉竹を植えようといって乞うたのを、このごろ差し上げようと言ってきたので、さあ、やり遂げもすまいと思ってしまった世の中に、心のないような仕業をしておこうか、と言うと、たいそう心の狭いお言葉です、行基菩薩は行く末の人のためにこそ木を植えなさったのです、などと言って寄こしたので、しみじみと、かつていた所だから見る人も見よと思うにつけ涙がこぼれて植えさせる。二日ほどして雨がひどく降り、東風が激しく吹いて、一筋二筋と傾いてしまったので、どうにかして直させよう、雨の晴れ間があればと思うままに、歌が浮かんだ。
 作者は藤原倫寧の娘。呉竹は竹の一種で、庭に植えて愛でる。行基菩薩は奈良時代の僧で、諸国に木を植え橋を架けたと伝えられる。
 天禄二年三月ごろのことで、場所は作者の住まいである。
 去年の春に乞うておいた呉竹を差し上げようと言ってきたので、やり遂げもすまいと思った世の中に心のない仕業をしておこうか、と渋ったところ、行基菩薩は行く末の人のためにこそ木を植えなさったのだ、と言って寄こしたので、涙をこぼしながら植えさせた。二日ほどして雨がひどく降り、東風が激しく吹いて一筋二筋と傾いてしまったのを見て浮かんだ歌である。
 このあと二十四日、二十五日と雨がやまず、「降る雨のあしとも落つるなみだかなこまかにものを思ひ碎けば」が詠まれる。

 初句の「なびくかな」は詠嘆で、風に吹かれて竹が傾いたさまを、まず驚きとして言い出す。二句の「思はぬかたに」は、思いもよらぬ方向へ、の意で、植えたばかりの竹が意に反して倒れたことをさすとともに、思いどおりにならない身の上をも含む。三句の「吳竹の」は、その竹を指し直しながら、竹の節を意味する語によって次の「よ」を導く働きをする。四句の「うき世のすゑ」の「よ」は竹の節と世の中との掛詞、「すゑ」は竹の末と世の末との掛詞で、この二語が重なって、竹の姿がそのまま世のありさまになる。結句の「かくこそありけれ」は「こそ」の結びで、こうであったのだと気づきの調子で言い切る。行く末の人のためにこそ木は植えるものだと諭されて涙ながらに植えた竹が、二日で傾いてしまったという経緯を思えば、この一首は、先を頼む気持ちを持とうとしてすぐに折られた心の記録でもある。

吳竹(くれたけ):竹の一種。庭に植えて愛でる。
よ:竹の「節」に「世」を掛ける。
すゑ:竹の「末」に「世の末」を掛ける。
作者
藤原道綱母
出典
蜻蛉日記
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