降る雨のあしとも落つるなみだかな
こまかにものを思ひ碎けば
- 歌の意味
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降る雨の脚とも見えるほどに落ちる涙であることよ。細やかに、物を思い砕くので。
- 鑑賞
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今日は二十四日、雨脚がたいそうのどかでしみじみとする。夕方になって、たいそう珍しい文がある。ひどく恐ろしい様子におじけて日を過ごしてしまった、などとある。返事はしない。二十五日、なお雨がやまず、所在なく、思わぬ山々とかいうように、物の思われるままに、尽きないものは涙であった。そのときに浮かんだのがこの歌である。
作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。
天禄二年三月二十五日のことで、場所は作者の住まいである。
前日に珍しく文があったが返事もせず、二十五日はなお雨がやまず、所在なく物の思われるままに、尽きないものは涙であった。そのときに浮かんだ歌である。
このあと三月の末になり、忌み違えがてら県ありきの所へ移って、長精進を始める場面へと移っていく。
初句の「降る雨の」で目の前の景を立て、二句の「あし」へ渡す。「あし」は雨脚のことで、細く筋を引いて降る雨の姿をいう語であるが、悪しの意をも響かせるとする見方がある。「あしとも落つる」は、雨脚とも見えるほどに落ちる、の意で、涙の量を雨に並べる形になる。三句の「なみだかな」は詠嘆で結び、以下でその理由を添える構えを作る。四句の「こまかに」は細やかに、の意で、雨脚の細さと、物思いの細かさとを兼ねる。結句の「思ひ碎けば」の「くだく」は砕く意で、雨粒が砕けることと、心が細かく砕けることとが重なる。降る雨の細さ、涙の細さ、思いの細かさが一続きになっており、景と心とが一つの形容で結ばれている。前日に珍しく届いた文に返事もしなかったという地の文を踏まえると、この涙は誰にも見せる当てのないものであり、雨のほかに並ぶものを持たない。
あし:「雨脚」に「悪し」を響かせるとも解される。
くだく:砕く。細かに思い乱れる。
こまかなり:細やかである。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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